電化製品の寿命

今は土曜日の夕方、書斎にいてパソコンの画面に向かっている。ちょうど今スポーツジムから帰って来たばかりで、居間で少し休んで柿とみかんを食べて、二階に上がってきた。自分はこの書斎の窓から、マンションを背景にした空を眺めるのが好きだ。今の時刻だと、マンションの階段側つまり北側が見えるのだが、そこから規則正しい配列で明かりが灯っているのを見て、夕飯の支度やほっと寛ぐ家族の様子を想像している。一日の終わりでやすらぎの時間なので、机の横にあるCDプレイヤーの音楽を流している。童謡か昔のラジオ歌謡などのオーケストラ演奏なのだが、今の時刻にはよく似合っていて、今風の流行りの曲とは違うので、年配者にはこのような音楽が適している。そう言えばNHK紅白歌合戦の歌手も決まったようだが、ここ何年間か観ていない。裏番組の古い歌謡曲を聞きたいのではなく、騒がしいきらびやかな動き回る舞台に何か違和感を感じて、ドキュメンタリーかNHKの小さな旅のような静かな番組が好ましくなるからだ。なるほど自分も年を取ったのだなと思う。そう言えば長い間使っていたCDプレーヤーが壊れたので、数日前に買った。新品なので心なしか音色が良いように思えるが、多分錯覚だろう。電化製品は不思議なことに、ある年数を過ぎると正確に壊れるようにできているらしい。10月からエアコン二台と電源を使う農機具とこのプレイヤーが壊れたので、新品に変えた。当たり前だが、人間と同じように機械にも寿命がある。スポーツジムに行く前に、小さな畑の手入れをして冬に備えたが、最近少し腰が痛むようになった。畑仕事のせいか運動のせいなのか、多分年齢のせいだろうと思うが、少しずつ体の使用年数の寿命がやってきている。少しでも寿命を伸ばすには、やはり運動する方が良いだろう。脳も同じで、使わないと農機具と同じようにサビがついてきて、使い物にならなくなる。自分の感覚では、専門分野のことは時間をかければ若い頃と同じような感じで、特に劣ってくるようには思えず、むしろいぶし銀のような鋭くはないが本質を掴むような知恵がついてくるような気がする。ただ日常生活や社会の出来事など、特に人名や地名のような固有名詞は信じられないほど忘れてしまう。体の方は細胞が衰えていくのであるから、体力がなくなるのは仕方がないが、その減衰の勾配を小さくすることができると思う。まあ全体的には脳も体も少しずつ衰えていくことには変わりがない。文脈から外れるが、新聞に、大根干す狭き庭にも西ひがし(石原美枝子)の句があった。農家の風景かもしれない、太陽は少しずつ少しずつ動いてやがて沈んでいくのだが、人の生き方を映していると思えなくもない。こんな俳句に心惹かれたのは、お昼に小さな畑の仕事をしたからかもしれない。少しずつでいいから体を動かして汗をかいたり、脳を使って知的活動ができればもうそれで充分である。生きている甲斐がある。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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