プロの将棋

今日は火曜日、手帳に予定を入れているがブログを書く日である。書斎の窓から見える空はもう真っ暗で、午後5時になると夜である。先ほど市役所にある教育委員会の会議室から自宅に戻って、庭の仕事を30分ほどして書斎に入り気になっているメールをチェックして、ようやくブログを書く時間になった。仕事をしているとメールに気がかりなことも多くある。自分の癖なのか、メールを送信した後で後悔することが多いのだ。現役の頃は、よく家内に、あなたは反省病だと言われていた。後になって、あーすればよかったこうすればよかったと悔やむので、他人から見ればほとんど意味のない嘆き節なのである。これも癖なので仕方がない、しかし気になっているのでメールを読まざるを得ない。先ほどもそれが自分の取り越し苦労で杞憂であったことが分かって、子供のように嬉しくなった。人はいくつになっても悔やんだり喜んだり、なんと忙しい感情の起伏を渡り歩いているのだろうか。こんなことはもう卒業したいと思いながらも、人はそう簡単には悟れない。ふと一昨日の日曜日の夕方に見たビデオを思い出した。日曜日だけは、お風呂に入る前にNHK杯の将棋の録画ビデオを見ることにしている。自分とすれば日曜日ぐらいという気楽さと気ままな観戦の楽しさがあって、週一回の趣味の時間になっている。囲碁の番組でも良いのだが、藤井八冠の影響なのか子供の頃に夢中になったノスタルジアがあるのか、将棋の録画を見る。一昨日は羽生九段と豊島九段の対戦だった。久しぶりにハラハラドキドキ、手に汗を握るとはこのことかと思いながら、一時間半を夢中になった。特にAIの予測手が表示されてその凄さに舌を巻く。この時は千日手になって再戦したのだが、一手30秒以内というギリギリの状況の中で、両棋士とも最善手を次々に繰り出していた。羽生さんも豊島さんも名人の経験者であるからそのレベルの高さは言うまでもない。印象的だったのは羽生さんの駒の指し方であった。序盤から中盤にかけてどちらとも優勢が分からない間は、羽生さんはきれいな手つきで優雅としか言いようがない指方をしていた。ところが終盤の勝つか負けるか紙一重の局面になって、羽生さんの手は震え駒が震えた。あの羽生さんでさえも、と考えると人智の極限まで達してもがき苦しんでいたのか、なんと壮絶な仕事なのだろうか、一手間違えば負けなのだから、自分のようにあの時こうすればよかったなどの後悔はできないのだ、やり直しができない世界なのである。文脈は離れるが、新聞に、原爆資料館を出でて泣きたる外国の少女を見ればわれも泣きたり(古山智子)の句があった。たぶんこの作者は、外国の少女の気持ちに共鳴し、その気持ちに心が動かされて、思わず涙が出たのだろう。自分と羽生さんでは天と地ほどの差はあるが、ギリギリの崖っぷちに立って最善手を指そうとするプロの気迫に心が打たれ、終わった後感動が残った。勝負の世界は厳しく一切の妥協はなく、それが見る人の心を動かすのである。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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