今は金曜日の夕方、といっても11月なので日の暮れるのは早く、書斎の窓から見える空はもう真っ暗で、高いマンションからの窓明かりが規則正しく光っている。そうか、もう今日も一日終わるのかと、多少の物思いをする。そういえば今日は三連休の初日で、あちこちの観光地や公園などは大勢の人で賑わっていると、テレビ報道している。ただ自分の今日の出来事は平日と変わらず、午前中は机に向かって仕事をし、午後はオンラインもないので床屋に行ったり買い物をしたり、そして久し振りに庭仕事をした。この三連休で少しでも良いので庭の手入れをする予定で、今日も30分間だけ鍬を持って草取りをした。草刈機で草を取る前に雑草を根本から取っておかないと、野菜用の土を耕すことができない。秋とは言えこの暑さで雑草が伸び放題、もう手をつけるのはおっくうになって逃げていたのだが、三連休ではなんとも言い訳が思いつかず、少しだけと自分に言い聞かせて雑草と向き合った。自分だけではなかなか重い腰を上げるのはしんどいので、手帳の助けを借りている。どうしてもという時は自分は手帳に赤字で書いてる。それは自分への励ましであり赤信号による警告を発している。学校現場や教育系学会では自己調整の考えが注目されているが、自分で自分を制御しながら学びを継続する力と言ってもよいだろうが、それはなかなか難しい。内発的動機づけと言われてもそんなに簡単ではなく、手帳という道具赤ペンと言うメッセージなどの外的な支援によって、仕方なく取り掛かるのである。多分ほとんどの人は自分と似たような思いをしているのではないか。ただそこからが面白い。鍬を持って草を掘り起こしていると、惰性で同じことを繰り返しているのではなく、頭の中で何か考えているらしく、ふとこんな風にしたらどうかという気づきがある。人は気付けば、それを試してみたくなり試してうまくいけばもっとやってみようという意欲が出てきて、うまくいかなければもっとこうした方が良いのかもしれないという、まるで独り言のような自問自答を繰り返している。そうするとあっという間に時間が経って、その間に自分が実行した仕事の足跡を見ると、意外と良いではないかなどと、小さな自己満足を覚える。それはすべて自分で行っていることであり、広い意味では自己調整と言っても良いだろう。子供でも大人でも自分に問いかけ自分がそれに回答し、できればもっと前に進みたいと思うのは、自分で自分を制御していると言える。そのプロセスは草取りを始める時から終わって振り返るまでのプロセスであり、そこに自己調整のいくつかの概念が含まれている。人は自分に何らかの価値を認めた時、その自分の脳が世界を見る目が違ってくるような気がする。新聞に、空仰ぐなんときれいなうろこ雲(高崎なほみ)の句があった。この作者も、心穏やかで現在を感謝して今日はきれいな秋空だなあと思っているかもしれない。そのような思いに包まれた脳が世界をそのように認識しているのだろう。自分は今日床屋に行ってさっぱりし、買い物に出かけて、そして午前中は面白い論文の査読をして、そこからの気づきがあって何か発見をしたような嬉しさがあって、その脳の状態を草取りという仕事で切り替えることが嫌だったのだろう。しかし人の思いは、別のことに取り掛かるという行動で簡単に変化する。つまり人の思い込みなどは実は大したことではなく、簡単に別の行動によってあるいは環境によって変わってしまうのである。これは絶対だという信念と言えども、変わるのである。だから自分は手帳の助けを借りて行動しているが、その方が楽な生き方なのである。
