今は火曜日の夕方、いつの間にか外は真っ暗になってしまった。時間があると思っていたら、日が暮れるのが急に早くなった。もう10月も下旬で、知らぬ間に秋が去って年末になってしまうかもしれない。本当に時の経つこと矢のごとしだ。先ほどメールを見てちょっと返信をして、なぜこんなに時間が経ったのだと不思議に思ったのだが、単に返信をすれば良いわけではなく、その間にいくつかの資料を当たったり前のメールを見たり予定外の時間がとられる場合がある。自分はなかなか優柔不断で、先程のメールも約束の時間に対面で会ったほうがいいのか、オンラインで許してもらえるかなど、ほんのささいなことで気をもんでいる間に、時間が経ってしまう。そのうちに明日の予定のことを思い出して、この資料を印刷しておこうとか、あのメールにもう一度アクセスしようとか、文献に当たってみようなど、まるで妄想のような思考が飛び交っている。今朝はなぜか早くに目が覚めてなかなか寝つかれなかったが、ようやくいつもの時間まで寝られた。今日の天気は、秋そのもの青空そのもの太陽そのもの秋風そのもので、完璧な秋の気候である。それでも早朝に目が覚めたせいか、午前はエンジンがかかりにくく、もたもたしていたが、午前中は学校訪問がありオンラインもあって、まるでお尻をたたかれるようにして仕事をした。実は家内が日帰りで実家に用事があって早朝に出かけたので、雑用を自分一人でやらねばならず、それが少し億劫だったのかもしれない。お昼はきつねうどんのインスタントを作った。そんなたわいもない日常を過ごしながら、振り返ってみると、面白いこともあればそうでないこともある。午後もいろんな用事があるが、比較的今日は暇だったので、10分ぐらいの散歩を3回ほどした。パソコンの画面ばかり見ていると体を動かしたくなる。夕方家内が帰ってきたら、もうほとんど1日も終わりかけている。今日を振り返ってみても、特別に変わったことはない、それでも小さいけれどもいろんなことが起きるので、それを楽しいと言うならばそうだろう。砂をかむような仕事なら多分続けていくことはできない。生活できるということは、強いて言えば楽しいからだろう。新聞に、寝る前に不登校の児つぶやけり「あした学校行けたらいいな」(北泊あけみ)の句があった。そうか行きたくないのではなくて行けないのか、不登校の子どもの心中を見せてもらったような気がする。大人でも仕事に行きたくない人もいるだろう、しかし本音は職場に行きたいのか。1人でも多く嬉しそうな顔をして学校に行く子供が増えればと、心から思う。平凡ながら、子供はこの世の宝である。
