大往生

今は月曜日の夕方、ブログを書くにはちょうど良い時刻ではあるが、曜日は少し変則的である。先週の土曜日に書いたばかりなので、中一日しか空いてないから、書く材料はあるのかと思ったが、明日は都内で理事会があって、夜遅く帰宅する予定なのでどうしてもこの時間しかない。別に義務もないし気楽な公開日記なので気にはしていないのだが、手帳に予定を書き入れているので、その通り実行している。手帳は有難く、背中から後押しされているようで、その予定に従って行動できる。そして夕方の時刻は、一日を振り返るのにはちょうどよい。まあいろいろ今日もあったが、ブログで書くほどのことでもなく、平凡ながら一日が終わろうとしている。つい先ほど自宅から歩いて2分位にある眼科クリニックに行って、目の検査をしてもらって帰ってきたばかりである。年齢と共に、クリニックに行く回数が増えるのは当然で、自分も眼科歯科は3ヶ月に一回ぐらい、内科も薬をもらう関係で2ヶ月に一回ぐらい、市内のクリニックに通っている。歯科だけは都内に通っているが、まあこの程度なら許されるだろう。有難いことに大きな病気や手術などはしたことがなく、正確には一日入院で検査をしてもらった経験はあるが、麻疹のようなもので大したことはなかったから、病気に対しては苦にしていない。ジョギングをして足の親指を骨折したことはあるが、外科クリニックに何回か通って治った。ただ今は健康第一で、内科からいただいた血圧や尿酸値を下げる薬を毎朝飲み、目薬は夕方お風呂の前につけているが、まあそのぐらいで済んでいるところが健康だと言えるだろう。たぶん自分のようなものは、手術を受けるとなれば、精神的に参って落ち込んで、誰かについてもらわなければどうにもならないような気がする。健康であることはもちろん良いことであるが、万が一の時には、むしろ臆病な情けない人間になる。世の中は不思議なもので、そんなふうにできているらしい。新聞に、さりげなく若いナースが声かける「雨、止みましたよ」手術日前夜(緒方英精)の句があった。看護婦さんは患者さんの不安な気持ちがよくわかっているので、雨止みましたよ、と声をかけて、雨が止んで晴れた天気が来るように、あなたの手術も成功して笑顔で退院できますよ、と言っているのだろう。その一言は、患者さんにとっては慰めというより心から嬉しいに声掛けに違いない。年を取ればいろいろな機能が衰えてくるから、体のどこかしこが痛くなったり、耳が遠くなったり目がかすんで見えにくくなったりするのだが、考えてみればそれはむしろありがたいことなのだ。少しずつ少しずつ体の衰えを教えてくれるから、あまり無理をすることはなく、自然体の生き方を好むようになる。体が徐々に弱ってくれば、たぶん精神力も衰えていき、花や木が枯れるように自然に影が薄くなっていくだろう。たぶん、死も恐れることはなく、自然体で死を迎えるのではないだろうか。元気だった人が急に死を迎えるとなれば、相当に落ち込むだろう。普段元気だった人が、急に大手術を受けるとなると、精神的にまいることと同じである。自然体で死を迎える場合は大往生であるが、まだ元気でこれから仕事をしたり長生きをしようと思っている人には、この若いナースさんのように、やがて元気になり楽しい生活が待っています、いうメッセージがこの上なく嬉しい言葉である。自分は少しずつ少しずつ体が弱っていき、自然体として死を迎えたい。もちろん誰でもそれを願っているわけで、それは大往生と呼ぶにふさわしい。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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