今は土曜日の夕方、9月30日だから今日で9月も終わり、明日から10月になる。平凡だが、月日の経つのは矢のごとしだ。実は昨日ブログを書く予定だったが、とてもその余裕がなく、今になった。昨日は都内の学校に朝早くから出かけて、授業参観と研究打ち合わせをして午後に戻ってきたのだが、原稿やらいろいろな用事があって、気が付いた時は、夕食の時間になっていた。今日は土曜日、久しぶりにオンラインも何もなく、自由に仕事がこなせると思うのは凡人の常であるが、どうしてもしなければならない用事を優先するので、自分が使える時間はそれほどない。手帳を見ると、もう3週間も運動から遠ざかっているので、今日こそはと思いスポーツジムに行った。感覚的には1ヶ月以上ジムに行っておらず、体を動かして汗をかくことすら忘れているような気がする。久しぶりなので、待ちに待ったという気持ちでワクワクしながらジムに行くのかと思っていたら、実はまったく逆だった。どこか億劫で面倒な気持ちが起きてきたが、自分は手帳通りに行動する規範意識が強く、なんとか出かけたのだが、やはり運動するのは素晴らしい、帰宅する時は、さわやかな秋風に向かって口笛でも吹きたくなるような心境だった。天気予報では1日中曇り空となっていたが、白い雲が浮かんだ青空で、心の中まで晴れ晴れとした。ジムから帰っても、いろいろな用事、いわば雑用が入ってきて、今の時間になった。しかしブログは書けるだけで、幸せなのだ。人は生きていると、まして仕事をしていると、気になることがいっぱい出てくる、それを一つ一つこなしながら、前に進んだり後ろに下がったり、喜んだり不安になったり、本当に一生とはその繰り返しなのだろう。それでも小さな山を1つ越すと、どこか嬉しくなる。今日の午前中は、どうしてもやらぬばならぬ仕事があって、しかし気持ちのハードルが高く、不承不承仕事をしていた。お昼の時間になってもまだ終わらず、昼食後、さらに続けてようやくのことで、レポートを送った。しかし続けると不思議なことに、もっとやったらどうだ、という天の声が聞こえてくる。それで明日に予定していた関連の仕事をやり終えた。人の気持ちは矛盾している、あれほど嫌々ながらであったものが、やり始めるとリズムに乗ってくるのだ。スポーツジムも仕事も同じかもしれない。一つ峠を越すと、まるで子どものように嬉しくなって、帰ってきてからガリガリ君のアイスを食べたら、また元気が出てきた。このブログの文脈と全く離れているが、新聞に、美しい残暑の匂い過疎の村(山内健治)の句があった。この作者は、あの灼熱の暑さを美しいと表現し、香り豊かな匂いと感じているから、過疎の村と読んでも、寂しい光景は全くなく、人の良さそうな、貧しいけれども助け合っていく優しい人々がそこに住んでいるような、桃源郷のような気がする。当たり前だが、作者の気持ち次第で、残暑も、逃げ出したくなるのか、どこか郷愁を誘うような美しい香りがするのか、どちらにでもなる。嫌々ながらの仕事でもスポーツでも続けていれば意欲的になる場合もあるし、人は気持ち次第で、どうにでもなるようだ。そうか、それなら、気楽に生きよう。
