今は、金曜日の夕方、と言っても、もう外は薄暗くなっている。珍しく今日は、灼熱の日差しでなく、雨が降って気温も久しぶりに30度以下になったと、ニュースは報じている。どこか心が落ち着く、というか、暑さ寒さも彼岸までと言うが、その通りだと感じている。8月は忙しく、9月になったらなんとかと思っていたら、さらに忙しく、楽しみにしているスポーツジムに、ほとんど行けず、もちろんこの暑さではジョギングもできない。つまり運動不足で健康管理には良くない月であった。今日はもう22日、9月も残り少なくなってきた。9月は学会の大会シーズンで、明日も学会で都内に出かけるが、もちろん自分が研究発表するわけではない。前のブログでも書いたが、自分は発表を聞くだけであるが、これも慣れると面白く、新しいアイデアや優れた研究を聞くと、まるで若い頃のようにワクワクする。文字どうり知的興奮を味わうことができる。研究者はよく、あの研究は面白いとか面白くないとか言うけれども、この言葉は誠に味わい深く、どう表現しても面白いという言葉が最適であり、これ以外は見つからない。面白くなければ、それは研究ではなく苦痛である。研究は、苦痛でやるのではなく、楽しみながら、時にワクワクしながら、時にがっかりしながら、時に自信をなくしながら、たまに自己肯定感を味わいながら、するものである。しかしそれは面白いので、がっかりしたときも、自信をなくしたときも、よしやろうという奥の方から呼びかける声が聞こえてくるので、忘れられないのである。今日も午前中から色々忙しく、つい先ほどオンラインの会議が終わった。しかし研究については、寝ていても気になって考えているらしく、夢に出てきたり、朝起きてすぐにチェックをしたり、ネットで調べたりすることもあるが、体の中に何かこびついてはなれない相棒のような間柄である。これに対して、仕事の方は会議が終わればそれで終了という、始めと終わりがある。しかし研究は、そこが違う。大した研究もできないのにと思いながらも、何か面白いことはないかと、目をキョロキョロさせる好奇心の強い若者と同じである。小学生は、すべて見るもの聞くものに興味を持ち、すぐにやってみる、タブレットなどの道具は、子供達にとっては遊び道具のようなもので、大人のような戸惑いはない、だから楽しいのだろう。研究は、何か自分が子供のような存在になった気がする。それは見るもの聞くものが面白いからである。慶応高校野球部が甲子園で優勝した時、エンジョイベースボールと言って、それが世間に広まった。そこに悲壮感はない、あるのは明るさと面白さと自由と笑顔である。世の中には、こんな面白いこともあるのだということを教えてくれた。新聞に、何一つ物にはならず八十歳最後のトリデ歌を詠むなり(金藤春吉)の句があった。この作者も、句を作ることが面白いのであろう、楽しみなのであろう。それは年老いた者にとっては、宝物である。自分も研究を大切にし、死ぬまで付き合っていきたいと思う。
