心理的安全性

今、月曜日の夕方、西の窓から見る空は、夕日が沈んで青色から薄茜色へのグラディエーションの空が見える。ブログを書くには、少し時間が足らないが致し方がない。今日は祝日だが、いろいろな用事で今の時間になった。ブログを書く条件は、用事が済んだか、ひと息入れたか、どこか安らぎのある気持ちの時が、書きやすい。昨日までは忙しかった。前のブログでも書いたが、学会で出張し、いろいろな知的刺激を受け、若い人たちの活力のある研究に、なるほどと思いながら、心が弾む自分に気が付いた。自分もかつてはそうだったのかと思いながらも、今は今なりに、まるで美しい花を見るように、華麗な舞台の踊りを見るように、心惹かれる絵を眺めるように、研究発表を聞き、質疑応答の時間を過ごした。心弾む一時と言ってよい。今日は、別の学会の研究をオンラインで聞いて、自分の考えていることと重ねて、果たして自分はどのレベルだろうかと自問自答していた。人は幾つになっても、特に自分は自信を持つことができないで、他人と比べながら、まだまだダメだなとか、努力不足だなとか、学びの言葉で言えば、自己肯定感が低いのかもしれない。お昼に、家内と話したら、そのぐらいでちょうどよい、自信を持つと偉そうになるから人に嫌われる、と言われた。確かに自分はその程度であろう、若い人の発表をオンラインで聞きながら、学ぶことはいっぱいある。世の中は広い、そして進歩発展して、老いた者は、自分なりに解釈して追いかけていくしかできない。ただ少しだけ付け加えれば、その解釈が、年齢を重ね経験を積み重ねた重みを感じる場合がある。ただそれを他人に伝えることはなかなか難しく、言葉が言葉通りに伝わらないことが多い。今日はそのようなオンラインの研究会だけではなく、諸々の用事があって、それをこなしていると、慌ただしく時間が通り過ぎていくが、まあいいか、平穏に用事を済ませ、事故もなく一日を終えることができれば、それは幸せというカテゴリーに入るだろう。自分を覆い隠すことなく、ブログに書いたり自分を振り返ったりすることができること、それは心理的安全性と言ってもよいだろう。この言葉も昨日の学会でよく聞いたが、それだけ人は人に気を遣い、自分にも自信がなく、大丈夫だろうかと不安に思って、平気で物が言え文章が書けることを望んでいるのかもしれない。新聞に、恙(つつが)なく今日は終りぬ水中花(石川幸子)の句があった。水中花をあまり見たことはないが、多分そっと咲いていて、見る人の心に寄り添って、心理的安全性が増すのかもしれない。一日の中にも、小さな感情の起伏があり、嬉しいと思ったり、少し不安になったり、喜んでみたり、人間はなんと忙しい感情の生き物なのだろうか。それに比べれば、植物は平然とたたずんでいるので、人は花を愛でたり植物を栽培したりするのかもしれない。明日はどんな日かわからないが、書斎で静かに過ごす一時は、この上なく嬉しい。この後は、シャワーを浴びて、夕食になる、そんな平凡な生活に、自分は満足している。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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