今は昼間、書斎の白いカーテンをした窓から強い日差しが、机を照り付けている。本当は夕方の涼しい時刻にブログを書きたいのだが、用事が入っている。別に隠すこともないので、夕方から庭の草取りをする予定になっている。昼間の時間は、形容のしようがないほど、灼熱の太陽で、とても作業などできるはずもない。しかし午後5時を過ぎるあたりから、穏やかな日差しになり、日陰ができ、涼しげな風も吹いて、体を動かしても苦しくはない。ただ困るのは蚊がやってきて、皮膚が出ているところは、遠慮会釈もなく攻撃することである。そのため、この暑い日にジャージを羽織って防御しながら草取りをすることになる。実は昨日の夕方も草取りをした。一昨日までは庭と言っていいのか、雑草の生えてる場所と言っていいのか、全く手入れのない空間であった。昨日の夕方、意を決して草取りをして、汗びっしょりになって、その後シャワーを浴びて夕食を取ったのだが、その爽快感がまだ忘れられない。素人の草取りは、庭の芝生はまだらであって、虎刈りとはよく言ったもので、虎の体の縞模様のように、芝生が線状に草色と土色が交互に並んでいる。しかし終わった後、居間から眺めていると、ようやく庭らしくなったかという満足感で、その嬉しさが忘れられず、今日も、夕方草刈りをしたいと思ったのである。これからオンラインのミーティングがあって、かなり気を使う仕事なので、その前にブログを書き終わるつもりで、パソコンに向かっている。もう9月1日なのか、子供たちは長い夏休みを終えて、今日から登校しているのか、久しぶりに会う友達と楽しく話をしているだろうかなどと、考えて自分も休みから仕事のモードに切り替えようと思っている。といっても、自分の日常生活は、長期休暇や日曜祭日に関わらず、ほとんど同じ生活パターンで、午前中はなるべく自分の時間を確保して、午後はオンラインなどの仕事を入れるようにしている。昨日まではどこか夏休みという感覚なのだろうか、草取りをした後、なぜか盆踊りを思い出して、パソコンで所沢新小唄を聞いた。なぜか妙に哀愁があって胸に響いてきた。こんな歌を聞くと、自分は日本人なんだなあと、意味もなく感慨に浸ったりする。所沢の祭りは10月、川越の祭りは11月、秩父の祭りは12月と、埼玉県のこの地方では、秋から冬に向かって北の方角に祭りが催される。今年は久しぶりに、昔のような笛や太鼓や踊りや華やかなイベントが繰り広げられるであろう。皆がそれを楽しみにしていると思うのは、自分たちもこの地域の住民なのか、日本人なのか、あの太鼓の音を聞いていると腹の底まで響いてきて、アイデンティティーが揺さぶられるからか。理屈を超えて、体が音とリズムに共鳴するだろう。新聞に、踊りつ家を出てくる風の盆(人見正)の句があった。そうか9月1日から3日までが、おわら風の盆の祭りであると、ネットで知った。実際にその光景を見たことはないが、胡弓の奏でる哀愁あふれる音色に飾られて、女性も男性も優雅に踊る姿は、江戸の昔から伝わる日本人としての美しさや優しさを表して、見る人の心を揺さぶるのであろう。全国のいたるところで、夏から秋にかけて祭りが催され、先祖の人たちの文化を引き継いで、子や孫たちに伝えていく行事が催される。今日は9月1日、なんとなく新しい季節を迎える出発の日である。8月はいろんなことがいっぱいあった、9月もそんな風に過ぎ去って行き、やがて年の瀬を迎えるだろう。人はそんなふうにして、祭りのような行事に出会って、日本人としての実感と、これから先の希望を持って、住民たちが助け合って生きていくことを、確かめるのだろう。
