今は火曜日の夕方、と言うより、その少し手前といった方が正確だが、白いカーテン越しに見える空は、8月の下旬とは思えないような強い日差しで、太陽がいっぱいの形容が似合っている。今は少し頭が重い、と言うのも、今朝の眠りで目が覚めて寝付きが悪かったからだろう。今日は珍しくオンラインの打ち合わせがなく、これで溜まっていた諸々の仕事ができると意気込んで、朝5時に起床し、食事の時間は除いて、ずっと書斎でパソコンに向かっていたら、さすがに疲れた。その疲れは、もちろん体ではなく脳であるが、仕事が片づいたという開放感は嬉しいが、やはり人間には時々の休息とゆとりが必要で、神経が張り詰めているのではなく、柔らかく弾力性を持った状態が必要なのである。そのために、自分の経験では運動が第一で、神経が柔らかくなり少しぐらいの外圧ではストレスは感じなくなる。つまり回復力や復元力が強くなる。そこで早めにブログを書いて、午後5時からジョギングをしようと計画した。今は午後4時過ぎなので、さすがに外に出て日差しを浴びると何かチクチクと痛そうな感じがあって、とても走る気にはなれない。しかし自然はよくしたもので、午後5時を過ぎれば、日差しは柔らかく降り注いでくる。若者から見ればずいぶんゆっくりした走りだと思うだろうが、自分にはそれでよい。そして1時間ジョギングをして帰宅する頃、ホースで水をかけられたように、シャツは汗でびっしょりになり、体が軽くなるような気がする。そんな楽しみを求めて、今ブログを書いている。歳をとってくると、価値観が、仕事よりも健康の方に移っていく。走れるだけ有難い、シャツがシャワーをかけられたかのような大汗をかけるだけ有難いのだ。まだ健康だと自分に少し自信が出てくるからだ。世間を見れば、どこかしら体の具合が悪くなったり、認知症とまではいかないが、その症状が出てきたり、そのために老夫婦が仲違いをしたり、そんなことが耳に入ってくる。体力も気力も知力も少しずつ衰えていくのだから、いろいろな歪みが出てくるのは当然であるが、そのままであれば晩年になればなるほど、希望や幸せという椅子から遠ざかっていくことになる。それはどう考えても、不条理である。若い頃から頑張って努力をしてなんとかここまで来たならば、老いれば老いるほど、老夫婦は豊かな生活を送ることが普通でなければならない。しかし世の中は、どうもそのような理想の姿に遠く、さまざまな問題を抱えながら生きていく人が多い。新聞に、先生の「いい字ですね」の一言が内気な孫の自信引き出す(野口啓子)の句があった。この言葉がけは、子供だけではないだろう、世の荒波を背負って仕事をしている大人、充分働いて今老境を迎えている年配者にも必要なのである。老夫婦はお互いに良い言葉がけをしながら、残り少ない人生を楽しく生きて行く権利がある。自分は、まあ、なんとか有難く暮らしている。
