今は金曜日の夕方、西向きの窓から書斎に陽が差し、太陽光を避けるために西も南も東も窓側に白いカーテンをして、クーラーの効果を維持している。白いカーテン越しから空を見ると、雲一つなく晴れあがっている。青空と太陽は、心を温かくし希望の象徴のようなイメージがあるが、今は灼熱の代名詞のようで、容赦なく屋根や木々を照りつけている。屋根も木々も太陽光線と戦ってるような感じもするが、後一時間もすれば、すっかりと日は陰り気温も下がっていくだろう。待つしかない。今日もそれなりに忙しく過ごしたが、若い時ほどではないことは当然で、歳を取るにつれて、価値観が別の方向にシフトする。仕事だけの価値から、健康や家族や気持ちの豊かさなどに心が傾き、静かにその方向に向かっていく。周囲からも家内からも、いつも忙しいが口癖だねと言われていた時代は過ぎて、だいぶ丸くなったねと、息子や娘からも言われるようになった。それが良いことなのかどうなのか分からないが、確かに価値観は変わってきた。穏やかなこと心が癒されること平和であること心身ともに健康であることが、最も尊いように思われるので、一言で言えばウエルビーイングを求めているのであろう。身体的にも精神的にも社会的にも健康な状態がウェルビーイングだとWHOは定義しているが、たぶんそれは正解だろう。ふと文脈もなく、夏目漱石が修善寺で療養していたことを思い出した。大文豪の漱石も、病気には勝てず、温泉で心と体を癒しながら創作活動をしたのかもしれない。後世に残るような大業績をあげた文学者とすれば大成功の人生であるが、もっと健康であったならばという願いを持っていたかもしれない。だから今自分は、体を動かすこと、心は感情的にならないで広く受け入れることを心がけている。凡人がそのようなことを考えても、無理なことは分かっているが、そうすることが幸せへの近道になるような気がする。明日からの土日は編集会議の合宿があって、スポーツジムに行けないので、1週間に1回は何とか体を動かしたいと思って、先ほどジムに行ってきた。やはり効果はある、いろんなことが起きても、まあなんとかなるという思いに染められて、今日の夕飯は何かなと、子供のような気持ちで帰ってきた。新聞に、トマト捥ぎ(もぎ)輪切りに塩や昼の畑(高橋和郎)の句があった。もぎたての新鮮なトマトを輪切りにして塩をふりかけて、あー美味しいと、呟いている光景が目に浮かぶ。束の間の幸せであるが、それが大切なのだ。ブログを書きシャワーを浴び夕食をいただく、そして明日から都内の合宿に出かける、それでもう充分である。先のことを考えるのではなく、今の瞬間が幸せであれば、それで十分で、先のことは本当に分からないことだらけだから、今の小さな幸せの連続を味わう方が得である。
