子供の姿

今は8月21日月曜日の夕方で、昼間は熱風のような風と蒸し暑さで、歩くのが厳しかった。今日の午前中は、都内の青少年の施設に出かけて、イベントを参観した。これも仕事なのだが、小学生たちが集まっていたので、どこか心が癒された。このブログでいつも書くように、子供たちは日本の宝であり、子供たちの才能、特に創造性については驚くことばかりである。今日の午前中もそんな経験をして、心が生き返ったようで、高価な土産物を貰ったような気持ちで帰宅した。ブログを書くスタンダードな曜日は、火曜日と土曜日なのだが、明日は都内に出かけて、いろいろな仕事が重なって、帰りも遅くなるので、今日に変更した。日中、照り付ける太陽と闘いながら歩いていると、消耗も激しく小雨が恋しくなると思っていたら、一時間ほど前に、大粒の雨が降ってきて、庭の草花もすべてを広げて歓迎してるように見えた。残念ながら、ほんの短い時間だった。こんな異常な暑さが続くと、人間は自然と共存できるのか、自然はわざと人間を困らせようとしているのか、悪意があるのではないかと、どこか心がひねくれるようだ。それでも人間関係の難しさに比べれば、自然はまだ素直で、こちらも文句を言っても仕方がない、やがて猛暑も終わり、爽やかな風の吹く秋がやってくるだろうなどと、許せる気持ちになる。自分はもう歳を取って、あまり人間関係のいざこざに巻き込まれることはないが、仕事盛りのほとんどの人は、そのことで悩んだり愚痴を言ったり、憂さを晴らすために酒を飲んだりする。自分のような職業は、熱中する対象があって、そのことを思えば、人間関係のいざこざなどは忘れることが多いように思う。そう思えばなんとありがたい職業なんだろうと思う。人が夢中になれること、全力をぶつけられる対象があること、それは最も素晴らしい生き方である。非認知能力が教育界で注目されて久しいが、現実には、大人も子どもも、心の中で葛藤することが多い。子供の場合は、いじめ不登校や自殺という不幸な形で出てくるのだが、何とかこれを乗り越えることはできないのか。もちろん難問中の難問であることは、知っている。今日の午前中は朝9時から12時まで3時間、時間を忘れて子供たちは夢中で活動に取り組んでいた。その姿を見ているだけで美しいと思い、参観する我々まで元気をもらったような気がした。非認知能力の中でも、特にレジリエンス、つまり復元力が注目されているが、今日の子どもたちを見ていると、十分にその能力を持っているように思える。とするならば、子どもの、いじめ不登校の問題も、大人の人間関係の難しさの問題も、何か熱中し、夢中になる対象があれば、解決するのではないだろうかと、ふと思った。今日の新聞に、心荒(すさ)む日やひたすらに草むしり(山田真理子)の句があった。この作者も草むしりという活動に夢中になることで、心と戦っているのかもしれない。本当に夢中になれば、心と葛藤することすら忘れて、こんなことぐらいは、小さい、小さい、大したことはないと思って、生きる勇気を持つのではないだろうか。人は死ぬ間際まで夢中になって生きていくのが本来の姿かもしれない。そんな理想的なことをと思いながらも、自分は目指したい。それは、大往生の代名詞のようなものだろう。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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