行ったり来たり

今は金曜日の夕方、西向きの窓から見える空は明るく輝き、南向きの窓からは雲ひとつない青空が見えている。そういえば今日は暑い一日だった。午前中、特定健康診断があって、近くの行きつけのクリニックに行って検査をしてもらった。いろいろ気になる数値もあるだろうが、それは仕方がない。年齢と共に、年相応の検査の数値になるのが自然なのだ。健診のため朝食を抜いたのでお腹が減って、お昼は家内とカレーライス屋さんに行った。久しぶりの外食のカレーだったが、プロの作るカレーは実に美味しく、生き返ったような気持ちがした。何でも専門家はその道で生きているので、美味しさの深さが違う。そのことは家内もよく知っていて、外食するときは一緒に出かける。回転寿司屋さん中華料理屋さんハンバーグ屋さんなどほぼ決まっているが、時々妙にラーメンが食べたくなったり、中トロの寿司が食べたくなったりする。そんな小さな喜びを味わう時、オーバーに言えば生きていて良かったなどと思う。飲食店は相当に競争が激しく、少しでも美味しい店ならばそちらの方にお客は流れる。どの仕事も同じかもしれないが、その差は歴然として、美味しくないと思えば、その店の駐車場は途端に閑散とする。世の中とはこういうものかと思って、自分ははたしてどうだろうかと振り返る時があるが、なかなか思うようにはいかない。自宅に戻ってメールを見たら、海外の学会から英語論文の査読依頼があった。いろいろ雑用もあって断ろうと思ったのだが、指が引き受けるボタンを押した。理由はわからないが、少し論文を読みたかったのだろうと思う。午後3時半からオンラインの仕事があるので、その前ならばと思ってダウンロードした英語の論文を読みはじめた。当然ながら英語の問題ではなく内容の理解の問題だが、読んでる内に面白さとつまらなさが入り混じって、こんな研究をする学者もいるのかと思いつつ、書けていない論文を抱えている自分を振り返り、まだまだ努力が足りないなと思った。歳をとってくると、歳なんだからまあいいかという気持ちと、いやいやまだまだ大丈夫頑張ってみようかという気持ちが、葛藤する。多分たいていの退職した人は同じだろう。新聞に、お隣も老いの二人や豆の飯(戎子千賀)の句があった。この句を読むと、ほのぼのとした安らかな気持ちになり、お互い長く生きてきたなあ、という優しさが滲み出て共感する。ただ一方、もう少しやってみようとか、この先にまだ何かある、探してみたいという気持ちも失われてはいない。それは若い頃と違って、競争するとか負けないとか全力で走るとかいうわけではなく、自分でも何かお役に立つかもしれない、世の中に少しでもお返しできるかもしれない、というニュアンスなのである。英語の論文の査読でも同じで、これはボランティアで、誰かが査読しなければならないので、少しは役立つかもしれないという思いが、引き受けたのだろう。3時半から5時までオンラインでの長い打ち合わせがあったが、これもどこかで少しは役立っているだろうと思うからだが、歳をとってくると、自分のことより他のことの方が気になってくる。そんな格好の良いことを書くつもりはなかったが、正直言えば、自分のことと他のことが行ったり来たりしている。人間はなかなか悟り切れない。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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