今日は火曜日、ブログを書くにはちょうど良い日であり、南側の窓から見える空に、久しぶりにどんよりした灰色の雲が浮かんでいて、西向きの窓からは、白い雲が太陽を遮って目に優しい。昼間は雷が鳴り、短い時間ではあったが雨が降って、庭の木々が生気を取り戻したようで、緑の葉の色が濃い。入道雲は夏の象徴であり、ギラギラした太陽と共に夏休みを連想させ、活動的な季節にふさわしいが、それも長く続くと疲れてきて、涼しげな木々に囲まれた小川に行ってみたい気がする。つい先ほど、オンラインの講演が終わり、一息ついたところで、今日の仕事は終わったかという安心感とリラックス感で、体から力が抜ける。まあいいだろう、このようにして毎日が過ぎていく。先ほどのセミナーは自分にとっては、ここ一番の仕事であり、うまくいくと平凡ながら充実感がある。充実感とはもちろん自分の心が満たされることだが、それ以上に聴衆者の心に響いたのか、何かのお役に立ったのかの尺度が重要で、その評価を知りたいが推測するしかない。ただ約一時間話をしている間は夢中で、聴衆者のことは頭にないが、終わったときふと気づく。自分の話はお役に立ったのか、飽きてはいなかったか、と少し自省する。聴衆者の数が多かったりチャットの質問が多かったりすると、皆さんが多少とも関心を寄せてくれたのだなと思って、安心する。それは多分、子供も同じだろう。授業の中で、子供たちは質問したり発表したり答えたり、多くの活動をしているが、すべて自分の心への振り返りがあるはずで、それで嬉しかったり不安になったりするだろう。まあ良い評価ばかりではないだろうが、そうして子供は成長していくのだが、大人であろうと年寄りであろうと同じである。振り返ってみて次はこうした方がいいのではないだろうかと思うこと、それは成長への足がかりである。思い出せば、今日話したことはそのような内容であった。つまり授業の一コマ一コマに、子供の自信と不安が生まれ、そして喜びと反省が繰り返されるのである。子供はそうして成長していく。そしていつの間にか、こんなにも大人びたのか、こんなにもすごかったのか、と気づく時が来る。つまり大人を乗り越えていく。新聞に、夏の雲少年貯金箱壊す(加藤木よういち)の句があった。文脈はよくわからないが、少年は何か思い切った決心をしたかもしれない、これまで貯めていた貯金箱を壊して、どうしても欲しいものを手に入れたいと思ったかもしれない。幼い子供から決断を下した少年に、飛躍したのかもしれない。老人にとっては、どこかまぶしい生き様である。
