今は金曜日の夕方、かなり外も過ごしやすいような気温になって、カーテン越しに見える空も、真夏の白い雲もあるが心なしか穏やかな色をしている。夏は入道雲のようにモクモクとした力強い雲の形だが、西空に見える雲は綿菓子をちぎったような形で、少し安らぎを覚える。しかし今日も暑かった、思い出せば昨日は博多から夜遅く帰宅した。その理由は、空港で雷雲と雷雨が発生し、2時間半の遅れが出てようやく飛行機が飛んだからで、自宅に着いたのは夜遅かった。こんな時、疲れたというより、自宅に帰れて良かったという安堵感で満たされる。遅い夕食を食べて、ウイスキーの水割りを飲むと、ありがたいと感謝でいっぱいになる。今朝はぐっすりと休んだおかげで、さわやかに目覚めた。そして今日も、三つのオンラインの会議や打ち合わせがあり、先ほど長引いた打ち合わせが終わった。仕事には、嬉しいこともあれば不安なこともある、楽しい出来事もあれば反省するような終わり方をすることもある、まだまだ頑張れると思うこともあればそろそろ看板を下ろすかと思うこともある、文字どうり人生いろいろなのである。先ほど意見をぶつけ合った余韻と、今朝の少し歯車が噛み合わない打ち合わせの後味が頭の中にあって、仕事が終わったという安心感と少しばかりの気がかりなことが頭を覆って、夏休みの子供のように、全身がわくわくするような気持ちにはなれない。大人になれば、子供のようにはいかない、歳をとっても、全て思い通りに行くはずもなく、生きているということは、自分に都合の悪いことにも出会うことと同じなのだ。ただ、何故か、そのプロセスの中で、努力したり考えたり小さな気付きを得たりアイデアを思いついたりする、まるで小学生の宝物探しのように大切にしたいことが起きる。それが、この先もずっと生きていきたいと思う原動力になっているのかもしれない。小さな喜び小さな気づき小さな発見小さな幸せ、それは子供も大人も年寄りも同じであろう。そんなことがあるから、不平も言わず平凡ながらも生活していける。新聞に、夏 雲の 白より 白き産着干す(難波佳代)の句があった、赤ちゃんは、世間の汚れとは全く関係のない純粋で、天使のような存在であるが、やがていろいろな出来事に出会って、苦労と喜びを味わって、なんとか生きていくのだが、この句のように、真っ白な産着を見れば、誰でもが心が洗われるに違いない。すべての赤ちゃんは、真っすぐに幸せに育ってほしい。
