今は金曜日の夕方少し前、外は灰色の混じった入道雲のような夏らしい空が、書斎の窓から見える。1日は早いと感じながら、ブログを書いている。もう今日の仕事のほとんどは終わりかけている。そしてふと思う。自分は今日何をしたのか、午前中は市内の学校に行って講演をし、研修会に参加した。どんな仕事にも緊張感があり、不安があり、終わるまでは心が休まらないのは、たぶん自分ばかりではないだろう。ある有名な歌手も、似たようなことを話していたようで、始まる前の緊張感は何回経験してもハラハラドキドキすると言っていた。逆に考えれば、それは自分の仕事に対する真摯な態度の表れとでも言えよう。終わると安堵感に包まれて、ほっと心が安らぐ。自分たちの生活とは、毎日このような積み重ねであり、緊張と安堵との繰り返しの中で生きているわけで、ずっと心穏やかに過ごすことはありえない。そのような心境で過ごしたいものだと思いつつも、ほとんどの凡人は小さなさざ波のような中で暮らしており、多少の不満や多少の気苦労や多少の思い通りにならないことも、必要なことである。もしそれがなければ、むしろ認知症のようなもので、感情の起伏がなくなれば、人は生きている甲斐がないからである。午前中の学校を後にする時、緊張感がほぐれて、多少ともお役に立ったという自己満足感があって、帰宅する車の中で音楽を聞いていると、心がほぐれてくる。今日の講演の一部は、デジタルの表と裏、光と影、プラスとマイナスのような両面があることを述べたが、それはすべての物事に通じることで、緊張感がなければ、終わった喜びは味わえないであろう。会議でも同じで、自分の意見に近い考えもあり、それとは別の意見があることも当然であり、違う意見があるから、自分の意見の存在感が出てくる。光があれば影がある、つまり影の存在は重要である、が、理屈はそうなのだが、現実は自分の意見だけに賛成してくれると嬉しいのは、これも凡人のなせることである。都合の良いことと悪いこと、その両方が必要なのだと、人の前でも言うし自分でもそう思っているが、実際はそのように悟りきれない。新聞に、梅雨激し鴉不満を声に出し(中野博夫)の句があった。カラスもまた激しい雨は嫌なのだろう、都合の悪い天気なのかもしれないが、やがて梅雨が明けるだろうが、人間にとっては、今の時期、もう少し雨が降ってくれないかと思っているが、なかなか天は言うことを聞いてくれない。こうして一日が過ぎていく。それで良いのだ。
