AIと人間の共存

今は、土曜日の昼間、本来は、夕方、すべての用事が終って、スポーツジムなどに行って、気楽な一時にブログを書く方が、読み手も、その気持ちが伝わって、読みやすいのではないか、と思うが、今日は、諸々の用事があって、ジムには行っていない。庭の雑草が伸び放題なので、この3連休で、なんとか手入れをしたいと計画したが、日曜日と祝日は、猛暑という天気予報で、外での雑草取りは、熱射病になると知ったので、曇り空の今日しかない。と言っても、今の時間でも暑く、夕方にしようと思って、ブログ書きが今になった次第である。時間の貧乏性というか、空き時間があると、何かで埋めないと、気持ちが悪い、それは、気楽な資料探しでもよく、見たいビデオでも、読書でも、スポーツでも良いが、ぼーっとした時間が、何か自分の生き方に反するようで、嫌なのである。ふと気付いたことは、なるべくメモをして、忘れないようにして、時間の隙間を作らないようにしているが、歳と共に、忘れることが多くなった。2日前に、講演資料で、あることに気が付いて、たいていは、夜中か明け方に、ベットの中でが多いのだが、枕元にあるメモ帳にメモするようにしているが、それも忘れて、朝起きて、あれは何だったか、と思うことがある。その資料は、著名な学者の、大昔の論文なのだが、あることがきっかけで、検索して、入手できた。嬉しくて、もちろん、PCに保存した。ところが、今朝、どのフォルダーに保存したか、を忘れてしまった。イメージは鮮明に思い出すことができるが、フォルダーが思い出せない。言語心理学者の今井むつみ先生によれば、言葉は関係である、と言う。ということは、このファイルは、このフォルダー、つまり下位概念を上位概念に関連付けて、保存しているので、その関係があやふやになっているということだ。脳のシナプスが、途切れて、活性化していないか、別のニューロンにつながっているのだろう。理屈が分かっても、入手できないことには、講演で、あの、例の〇〇論文、などと言っても、恥をさらすだけである。実は、ついブログを書く前の隙間時間に、検索していたら、ようやく出てきた。なつかしい待ち人来る、のような気持で、資料に張り付けた。これで少しほっとしたが、思い出そうとしても思い出せない、言葉では表現できない、あの、例の、なんとか、という自分の脳の中にあるイメージを、最近のAIで検索してくれないものか、言葉にならないから、忘れているのだが、イメージはある。そのような脳とAIが結びついた技術はあるかもしれないが、それはそれで、恐ろしいような気もする。AIはAIで、どこか、完璧でない方が、可愛らしさがある。新聞に、AIにAI訛り梅雨に入る(泉尾武則)の句があった。まだ音声は機械的な発音のようで、ロボットのようだと思うが、その方が良い。きれいな発音だと人間と間違えるからだが、それは時間の問題で、その内すぐに人間を追い越すだろう。AIと人間の共存、共生は、どうなるのだろう。識者の意見も聞きたいが、人間は歳と共に衰えることは、残念ながら、疑いようがない。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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