年の功

いろいろあって、今は火曜日の昼間だが、ブログを書くことにした。夕方は時間がないので、隙間時間を使って書くのが、効率的なのだ。この後、2つのオンライン会議が入っているので、仕方がない。先ほどは、来客があって、1階の日本間で、座敷テーブルを囲んで、打ち合わせをしたのだが、わざわざ拙宅まで来ていただけるのは、恐縮である。もちろん、仕事の話しで、来週の会議の下打ち合わせなのだが、確かに事前に内容が分かっていると、安心する。どの仕事でも同じで、即、本番ではうまくいかない、準備期間があることで、心構えも違ってくるので、とっさの対応が可能なのだ。事前に資料を持ってこられたが、読むには時間がかかる、どうしようかと思ったら、明日は他県に出張が入っているので、ちょうど良い、電車の中で読もう、と決めたが、世の中はよくできている、ちょうど間に合うように、段取りが運ぶようだ。そう言えば、7月の日程だが、うっかり夕方のセミナーを忘れていて、予定を入れていたが、昨日の会議で、あっと叫んで、予定がダブっていた、すぐにメールを出して、どうしたものか、と日程の変更などの打ち合わせをした。そして、すぐに調整をしたのだが、それは将棋の駒の置き方に似ている、こうすれば、べつの手が動く、ならばこうする、というように、予定を動かすしかない、それがピッタリ収まると、どこか快感が湧く。子供じみたような話だが、うまく収まる、それは体操競技で、着地がピタッと決まるような感覚なのである。まるで、始めから予想したように、会議や仕事の段取りが決まる。時間の無駄がないとは、どこか嬉しい。年齢と共に、なかなか収まりにくくなるが、最近は、どうも時間のやりくりに苦しむようになった、それは理由は分からないが、予約が増えたこと、そして、うっかり予約ミス、つまり忘れ癖が付いたことだ、と自省した。人の名前が出てこないのは、仕方がない。しかし、仕事でも少し物忘れがあるということは、頭の中の整理ができていないことだ。気付いたことは、すぐにメモを取る、手帳に書く、メールを出す、確認する、それもすぐに取り掛かること、時間をおかないことが肝要だ。隙間時間を活用する、という平凡な結論に落ちつく。最近思うことは、仕事の内容の吟味である。これまでの、どうしても、という気負いが少しづつ薄れていって、これは、誰かに任せよう、これは、自分で責任を持とうなどと、考えるようになった、あれほど執着していた事柄も、それほどでもないじゃないか、と思えると、気が楽になる。笑って過ごせるような余裕が生まれる、目くじらを立てなくても、という気持ちになる。新聞に、ひとの名をやっと思い出したるに何の為だかまた忘れたり(鈴木基充)の句があった。身に覚えがあるのか苦笑するしかないが、水の流れに身を任せ、というなら、それも年相応でいいではないか、とも思う。この世には、どうしても間に合わせなければ、という仕事と、なんとかなるさ、という仕事の両方があるらしい、そのどちらもいいではないか、それが年の功ということだろう。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

コメントを残す