仕事は辛いか

今は、火曜日の夕方、実は、遅い夕方である。外は、どんよりと曇っているので、よけいに時刻が遅い、という実感がある。午前は、都内で会議に対面で参加して、帰宅して、すぐにオンラインで会議に参加し、1時間の講演をして、さらに、さきほど終わったオンライン会議に参加し、その間に、メールを見て、という時間が小刻みで、今に至った。もう疲れたから、お風呂に入って、夕食を、と思いたいが、そうもいかない。今を外せば、明日の朝のブログ書き、それはきつい、今しかない。家内に、今日の夕飯は、少し遅い時間で、と言って、今パソコンに向かっている。昼ごはんも10分もなかったので、パンを少々、本当に少々で済ませた。しかし、時間に追われるのは、何でもない、むしろ快感でさえある。明日も大学の役員会なので、栃木県まで行き、夕方はセミナーがあって、夕食が遅れる。午後7時のニュースを見ながら、という優雅な時間は、なかなかないが、それは構わない。仕事に追われるのは有難いことで、誰も、そのことで嫌な顔をする人はいないだろう。歳に関係なく、どこか生気が身体の中を流れるような気がして、充実感を覚えるだろう。人が、優雅な生活、安らかな気持ち、優しさを求める心は、仕事の量ではなく、人間関係のような精神的なストレスだろう。昨日と今日は、すこし厳しい言葉で、メールを書いた、返信が来た、そして、また自分も書いた、済まなかった、とも書いた。それで、お互いが心を痛めないように、というつもりで、送った。本心が伝わるのか、嫌な思いをさせたのか、分からない。矛盾するようだが、厳しい言葉と、許してほしい、という言葉は、両方共、自分の本心である。人間関係は、ここが難しい。そこがAIのように、論理で割り切れる世界ではないのだ。そう言えば、昨日、月曜日は、生成GPTについて、数人の研究者と対談した、小規模のオンラインセミナーがあった。面白かったが、連日、このようなイベントがあると、どこか麻痺するのだろうか、メールで厳しい言葉を書いたのは、そのせいだろうか、と反省した。うーん、この世は難しい、忙しくても暇でも、オファーが来ても来なくても、対面でもメールでも、何があっても、すべて万歳ということはない。そう思うと、すべて良しとは、幻想なのだろうか。新聞に、新聞は配達よりも集金が超辛いよと犬を抱く甥(植沢悦子)の句があった。朝早くても、新聞を配るのは、何でもない、が、集金は、相手が人だから、留守もあるし、嫌な顔をされる時もあるし、文字通り、超辛いのだ。モノよりも、はるかに人のほうが、難しい。しかし、モノを相手にする職種は、職人か技術者かもしれないが、プログラムにバグがあって、成功しないと、帰宅できない、夜中であっても、離れられない、どうやっても、バグが見つからない辛さは、相手がコンピュータだけに、決して許してくれないから、これが人間だったら、と思うだろう。本当は、どれも、楽な仕事はないのだ、楽な仕事なら楽しいかと言えば、決してそうではなく、こんな辛いことはない、ことは、ガードマンのような仕事を見れば、すぐ分かる。結局、すべての仕事を、楽しくする知恵や心構えが必要だ、ということになる。そんな秘策はあるのか、という問いには、今日は答えない。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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