習慣とは

今は、土曜日の夕方、今日はほぼ一日中雨が降っていたから、空がどんよりしている。こんな天気だと、どこか晴れがましいことは避けて、なんとなく暗いニュースが似合うようで、何か面白い話題はないのか、と探ってみるが、特段とブログに書くような出来事は起こっていない。今月は、週1回程度しか、スポーツジムに行けなくて、今日は久しぶりに、汗をかき、汗を流して、今帰宅したところである。今月は、いろいろな仕事で忙しかった、来月も続くだろう、コロナが明けると、人の移動も頻繁になって、そのため、電車に乗る時間が増えて、その移動時間は、かなりの時間になっている。忙しいと言いながら、そのような余計な時間に消費されているので、実質的な忙しさではないが、どこか、そわそわして、時間が過ぎていく。久しぶりにオンラインが無い日で、ジムから帰ってくると、ブログを書きつつも、睡魔が襲ってくる。今朝、早朝に目が覚めて、明け方に、気になる資料があって、その資料が頭の中をめぐって、その後寝付かれなかったせいか、目がしょぼしょぼしている。いつも、こんな調子だが、書き始めると、頭が少ししゃんとするのか、眠気が薄らいでくる。先ほど、1階の居間で、グレープフルーツジュースを飲んで、汗を流した後の疲労感を、和らげたが、なんと美味しいのだろう、と単純に思う。どんなに高級な飲み物よりも、100円程度の冷たいジュースに敵わない。ジムから帰った時、ジョギングから帰った時、誰でも同じように、冷たい飲み物が極上の癒しになって、ああ、生きていて良かった、などと、オーバーなことを言ったりして、傍にいる家内が苦笑したりする。人によっては、冷たいビールを飲んで、ああ、極楽などと、言っているだろう。夕食時の晩酌、ワインやビール、ウイスキー、日本酒など様々だろうが、飲み慣れたものが、一番のご馳走である。自分はアルコールに弱いくせに、晩酌は欠かせない、それは、習慣である。飲みながら、テレビ番組を見る、これも習慣で、7時のニュースから始まって、9時くらいには飽きてきて、9時半くらい、10時前にはベッドに入るのだから、幼児並みの睡眠だと、苦笑する。朝は、およそ5時起きで、枕元には、気が付いたことを書く習慣があるので、はがき大の用紙とボールペンが置いてあって、今朝も、ある気付きがあって、メモをしたが、意外にこのメモが、役立つ。朝食前の時間に、そのメモにしたがって、講演資料を追加できたので、自分では満足だった。この頃、そんな生活をしている。この生活を維持したい、今のままで、と思いつつ、いずれは、気力も体力も落ちていくのだろう。新聞に、亡き妻をスーパーの前で待つ夫認知症とぞ聞けば涙す(道下美智子)の句があった。うーん、なんと切ない、だが、それでも生きて、認知症でもいいから、待っている間の幸せを味わってほしい、とも思う。このご主人も、待つことが習慣だったのだろう、些細なことでも、習慣を続けられることは、幸せなことなのだ。自分もこれから、お風呂に入って、少しばかり小説を読み、ウイスキーの晩酌をしながらテレビニュースを見て、夕食はカレーライスだと言うから、他につまみくらいはあるだろう、美味しいと言いながら、時が過ぎていく、9時半を過ぎれば、もう歯磨きをして、床に入るのか、平凡ながら、この習慣が維持できるなら、自分は十分に生きているのだ。人の世とは、このようなものだ、それでいいのだ。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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