幸せ度

今は土曜日の夕方、だが、雨降りで、窓の外に、小雨が降っている。今日から数日間は天気は曇り時々小雨らしい、しかも、気温が急に低くなった。つい数日前、冬物と夏物を入れ替えて、1階の下着置き場と服の衣文掛けを、夏向きにしたばかりと言うのに、世の中はままならぬ。今朝は、冬向けの下着に着替えて、午前は書斎で仕事をし、お昼に畑仕事をして、さきほどスポーツジムから帰ってきたばかりだ。今週は、外に出る仕事が多く、電車の移動時間の分だけ、1日の時間が少なく、というか、本来の仕事ができないので、やるべき仕事が溜まってしまう。すると、締め切りがある場合は、気持ちが急かされて、心臓によくない。特に、歳を取ってくると、余裕のある生活をしないと、せこせこと、若い頃と変わらなくなるので、眉間に皺がよるような顔つきになる。どうも、物事を急ぐ癖は、往生するまで、つきまとっているようだが、さすがに、この頃は、時間的な幅を持ちたいと思う。だから、今週のように、出かけてばかりだと、大勢の人に会っているので、華やかな気分にはなるが、あまり生産性はよくないのだ。まして、展示会のような大きなイベントでは、いろいろな人に出会うので、名刺交換だけで疲れてしまう。コロナ禍が過ぎて、ようやく人が戻ってきたようで、誰もが、挨拶や話に夢中になっている。まあ、お祭りは終わって、来週からは、いろいろな用事が待っている。現役の頃と同じように、手帳が黒字や青字で埋まってくると、何か仕事をしたような気持になるのだが、最近、感じることは、質のレベルである。どうも、まだ質が低い、だから、もっと時間がほしい、調べたいことがいっぱいある、仕事ではなく、出かけたい学校がいっぱいある、議論したいこともいっぱいある、のだが、誰も同じかもしれない。怖いので、手帳に締め切りに余裕を持って、記入しているが、土日には、優先的にスポーツジムを入れている。仕事や家庭と同じくらい、健康が重要だから、否、それ以上なのだ。倒れたら、それですべては終わってしまう、幸いに、健康なので、実は、いろいろな面で、若い頃と何も変わってないのだ、人の名前が出てこない、という苦笑するような小さな不幸はあっても、研究や講演などは、むしろ若い頃より、自分では満足しているくらいなので、年齢とは、あまり相関はないのかもしれない。ブログで書くのは気が引けるが、いろいろな面で、面白いことが多い。学校訪問、高校情報の内容、実践研究、講演、原稿などの自分の好きな分野の他にも、いろいろなオファーが来て、やってみると、それが面白くなるので、世の中は、どうなっているのか、と思う時がある。何を偉そうに、と叱られそうなので、もう止めるが、新聞を見ると、世の中は、様々だな、と思う。麻痺の妻の瞳に映る無精ひげ皺も深まる老々介護(若松吉弘)を読むと、うーん、と言うしかない。ただ、家内がスマホでSNSを読んで、老夫婦で暮らしていたが、奥さんが亡くなったら、ご主人が、もう何もする気力が失せて、ただ霞のように生きていると、言った。なるほど、この人から見れば、介護する人がいるだけ、幸せではないか、と言うかもしれない。世の中は、本当に分からないことばかりで、人間の幸不幸は、誰が決めるのか、先天的に決まっているのか、と思いつつも、いつかのブログでも書いたような気がするが、相対的なものかもしれない。介護ができる人がいるだけ幸せなのか、短歌を作って投稿するだけ元気なのか、と言われると、そうかもしれない、歳を取ってくると、そんな心境が分かってくる。ちょっとしたことでも、有難いと思うようになる。もう自分は若くないから、という思いがあるからか、こんな自分でも役立つことがあるのか、と思うだけで、オーバーに言えば、小さな幸せを感じる。幸せ度は、間違いなく相対的な尺度で、決して絶対的な尺度ではない。お風呂上りの夕食前に、読みたい小説がある、10分位しかないが、それでもワクワクする、夕食が焼肉か、と思うだけで、頬が緩む。まるで子供のようだと思うが、それでいいのだ、その方が楽しいのだ。歳を取ることは、子供のような心境になることなのか、生まれた時に戻るのだろうか。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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