呑気に気楽に

今日は土曜日、そして今は夕方、ほっとする時刻である。土曜日よりも、大型連休の初日と言った方が、心が弾む。だだ、我々のような現役を退いた人間は、サンデー毎日と揶揄するように、休日なのだから、改めての喜びはない。ただ、自分は若干違うと思っているが、毎日が、むしろ忙しい。オンラインだから仕事がはかどっている、のが本音で、コロナ禍以前のように、毎日通勤していたら、とても仕事はこなせない。有難いのは、電車に乗らなくてよい、通勤時間がない分だけ、スポーツジムに行ったり、家庭の用事を済ませたり、市内の学校を訪問したり、会議に出席したり、自由に動けるのである。とは言っても、昨日は、仕事で新幹線に乗って三島市まで出かけたが、なるほど、オンラインであれば、1時間もかからない仕事も、対面となれば、午後はすべて潰れるのだから、時間の効率は、比べようもない。そんなことをしながら、毎日を過ごしているが、自分は、今の生活が本心から気に入っている。現役の頃から憧れの生活様式であり、常勤の職種ではなく、自由業、流行の言葉ではフリーランスなのだろうか、オファーが来れば、それをこなす仕事なので、まあ、自分にはぴったりの職種なのだ。タレント系の人も、同じだろう。ただ、彼らは、オファーが来ると、決して断らないと言う、いつ来なくなるか、それが怖いからで、どんなに危険な仕事でも、どんなに嫌な仕事でも引き受けると、聞いた。さもありなん、オファーが無ければ、谷に落ちる、その怖さを嫌と言う程、知っているからだろう。自分は、そうではない、気楽な稼業で、時間を自分でコントロールできる、ただ、オファーが無ければ、自分も、毎日が日曜日となって、所在ない日々を過ごすことになるだろう。贅沢なことを書けば、今は、過剰な仕事を抱えて、どう処理しようか、どうスケジュールを立てようか、と迷っている。今朝、あることを思いついて、こうすれば、効率的な対応ができ、自分も充実感も味わい、成果も期待できる、ではないか、と思って、その準備をした。この方法で、連休を過ごして、仕事をさばこうか、と計画している。とは言っても、そんな都合の良い方法はないだろう、と思いつつも、計画し、準備するだけで、年甲斐もなくワクワクする。否、仕事や面白いアイデアは、年齢には関係ないのだ。研究もその通りで、講演も、原稿も、出版も、審査も、事務処理でさえ、年齢に関係ないと思っている。極論すれば、健康さえも、年齢には関係がないのだ。若くても、病気になる人、うつ病になる人、人生をはかなんでいる人など、世の中には、大勢いるだろう。とすれば、自由業という職種ではなく、自由な気持ち、囚われない気持ちが、人を楽しくさせるのではないだろうか。それは、常勤で毎日通勤している人には、そんな呑気なことを、と軽蔑されそうだが、今の自分には、そんな風に思える。新聞に、鶏も雀も家族長閑なり(毘舎利道弘)の句があった。長閑(のどか)とは、まあ、こんな光景なのだろう、今の自宅には、家内と2人だが、毎朝、雀に餌を与えているが、その句の通りで、雀は小さいので、そのしぐさも可愛く、家族のような気持なのだ。なんだ、呑気に気楽に暮らしているではないか、世間の厳しさを知らないで、と言われそうだが、まあ、世の中とはそのようなものなのだ、その時は、これ以上の苦しさ、厳しさはない、経験した人でないと分からないよ、と非難されても、後になってみれば、分かるよ、としか言えない。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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