良いことありそうな

今は、土曜日の夕方、いつものように、2階の書斎でブログを書くのだが、机の正面が西窓で、必然的に左側が南窓になる。日中は、南窓から陽射しが容赦なく入るので、白いカーテンをして遮るが、西窓は、常に白いカーテンをしているが、夕方の日差しは柔らかく、顔の真正面に陽射しが当たっても、眩しくはない。自分の背中にも東窓があって、これも、白いカーテンをしているが、書斎は日だまりのような場所で、今日と昨日は、さすがに暑さに敵わず、4月というのにクーラーをかけた。確かに、異常気象である。土日は、オンラインがないので、気が楽で、贅沢な時間を過ごしている。といっても、午前中は、講演の資料作りで、午後は、庭の雑草取りと、家内の依頼で、小さな畑を耕した、が、その気持ちの良いこと、雲一つない晴天で、少し気温の低い風が吹いて、陽射しと風の温度差が、今は春なのだ、と気付かせた。そして、スポーツジムに行って汗を流し、例のごとく、プールの後は、屋外のジャグジーに浸かって、束の間のリゾート気分を味わうのだが、どうも今日は、ジャグジーのお湯の温度が高く、長く浸っておられなかった。そして、運動した後の少しばかりの疲労感と、冷ための風が身体にぴったりで、全身を爽やかに撫でていく。今日も、そろそろ終わりに近づいてきたか、と振り返りながら、帰宅する。今朝のメールを見たら、残念な知らせがあった、と言っても、大したことでもなく、さらに自分は多少の関わりを持っているだけなので、言わば、応援席からの眺めなので、気は楽だが、それでも多少は気になる。畑仕事とスポーツジムで運動をしたので、その爽やかさと帳消しになったようで、今は、何でもない。誰も同じだと思うが、メールは、依存症ではないが、頻繁にチェックする。嬉しい知らせも時にはあるが、中には今日のような、都合の悪い知らせもある。それが当たり前で、ごく平凡な出来事である。しかし、良い・悪いは、実は、後になってみないと判断できない。都合の悪いことが、後になると、それが良かったことは、何度も経験している。つまり、今の瞬間における良い・悪いであって、常に変わるものなのだ。だから、むしろ、これからどうなるのか、楽しみにするぐらいが、ちょうど良い。スポーツジムの帰り道、三輪車に乗った幼児と母親の親子連れに出会った、幼児は三輪車に乗るのが嬉しくてたまらないようで、大人は、先行き短い老人も、幼児をモデルにして生きたら楽しかろう、と思う。新聞に、種袋振れば良いことありそうな(曽我部幸子)の句があった。どんなきれいな花が咲くのだろうか、この種袋は、その良いことがいっぱい詰まっているのか、どんな良いことなのか、振ってみたくなる、幸せの音がするのだろうか、それは、三輪車に乗って母親に見守られて動き回る幼児の姿に、似ているかもしれない。どんなに幼い子であっても、嬉しいこともあれば、面白くないことも起きるだろう、ただ、幼児が思っていることは、今が良いことであり、都合の悪いことは、微塵も頭をよぎっていない。それで良いのだ。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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