平凡な庶民

今日は、4月8日土曜日なので、ブログを書く曜日なのだが、少し事情が違う。つい先ほど、旅先から帰宅した。3月31日まで、理由は分からないが、忙しくて、忙しくて、という生活だった。もちろん、有難いことなのだが、自分は、4月になったら必ず旅行をしようと計画していた。今回は、沖縄に行った、文字通りの観光旅行であり、定番のJTBに申し込んで、旅を満喫した。本音は、観光をしたいというよりも、忙しかった我が身への褒美であり、それほど永くもない、これからの人生を思えば、元気な内に、リフレッシュすることも悪くないからで、家内と2人で出かけた。もちろん、沖縄は、観光旅行も、そして仕事で何度も訪問しているから、名所旧跡はほとんど知っている。琉球大学で集中講義もしたから、そのリラックス感が、どこかノスタルジアを刺激するようで、ずっと忙しかったから、あの昔の気分を味わいたい、と思ったのだろう。4月10日の週から、いろいろな仕事が入ってくるから、4月の始めの週が、最も余裕がある時間で、この週をおいて他はないと思ったのだが、正解だった。研究も面白いが、頭の芯を使っている感じなので、脳もバネと同じで、引っ張り張力や弾力性が弱くなって、柔軟性がなくなるような気がする。ある時期に、離れるほうがよい、ただ、旅行に行っても、メールなどはチェックする必要はあるが、他は、もう忘れるほうがよい。ここで、観光の話をするつもりはない。沖縄まで、飛行機で2時間半もかかるとは思っても見なかった、だから、飛行機の中で映画を見るとは、これも意外だが、しかし、内容が素晴らしく、これも意外で、何もかもすべて予想外だった。ホイットニー・ヒューストンの物語で、実話に基づいた、世界の歌姫と呼ばれた、天才歌手の48歳という短い一生を、その栄光と挫折を描いていた。恥ずかしながら、自分は、この有名歌手を知らなかったが、壮絶な生き方であり、天性の美声で世界中の人々を、魅了した。最後は、薬物依存症で、ホテルで死亡したようで、最後のシーンを見て、この人の人生は、本当にこれで良かったのか、もっと楽しい生き方ができただろうに、と思った。何故か、歌手や俳優やスポーツ選手など、華やかな仕事をしてきた人は、概して、家庭生活が幸せではないような気がする。理由はいろいろあるだろう、ただ、彼女は、歌うことが好きで、それを天職にしたのだが、巨万の富が手に入ると、平凡な家庭生活とは矛盾するのか、両立が難しいようだ。エンターテナーは、市井人とは別の世界に生きているので仕方がないが、彼女は、暖かい家庭が欲しかった、暖炉のある居間で、子供がいて、学校のことや夕食のことや、何でもよいが、他愛のない話をして、ほっとしたかったのではないか、と思う。それは、平凡であること、自然であることに、他ならない。平凡な生活でも、小さな波がやってきて、毎日を、苦情をいいながら、それでもいいか、と思いつつ、たまに観光や温泉に行ったり、愚痴も言いながら、時々嬉しいこともあったりして、日々を過ごせることは、どんな巨額の富を持っている人でも憧れる生活なのだ、と確信した。歳を取れば、身体も弱くなり、病気になったりするが、楽しい旅行に老夫婦で出かける喜びもある。小さい波が良いのだ、それは、乗り越えられるからなのだ。新聞に、ふきのとう茶漬けに食すこの春はふるさと遠くひとりの朝げ(寺岡芙聖子)の句があった。お茶漬けでも、幸せを感じる瞬間がある、そして連れ添いがいなくても、なんとか生きていく力を持っている、決して薬物やアルコールに溺れない、確固たる生きる力を持っている、それが、平凡な庶民の生き方なのである。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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