足し算

今は、4月1日土曜日の夕方で、先ほど、スポーツジムから帰宅したばかりである。いつも、書き出しが似たような文章になるのは、夕方だから仕方がないが、ホッとする時刻で、書斎の西窓から外を見るのが好きだ。季節の早さに驚くが、今日は4月1日で、新年度の始まりである。スポーツジムの行き帰りでは、いろいろな事が頭に浮かんでくる。プールで泳いでいる時もそうだが、泳ぐときは、ターンの回数を数えているので、あまり複雑なことは考えないようにしている。考えると言っても、ほとんど雑念に近いが、あの案件はどうだとか、あの資料はどうだとか、仕事のことばかりだ。歳を取っても、仕事に生きるのは良いが、現役の頃から、ズッーと同じような気がする。だから、子供たちが、何でも良いから、仕事をさせておけばボケないから、と家内に言っているらしい。それは、事実だろう。ただ、今の自分は、昔のような現役ではない、現役の定義は知らないが、決まった時刻に出勤し同じ時刻に退勤するようなスタイルではない。コロナ禍以降、オンラインになって、出勤という概念もなく、自宅の書斎が仕事場である。仕事も、どこからかオファーがあって、その依頼に対して仕事をするスタイルなので、非常勤であり、フリーランスとも言えるが、自由業の用語が気に入っているので、人には、団体役員か自由業と、多少の格好をつけて言っている。その点は、タレント業とも似ている。彼らも、決まった給料ではなく、オファーによって仕事をしているので、非常勤で自由業だとも言える。だから、忙しい時と暇な時の差が、激しい。いつオファーが切れるか、一寸先は闇のような世界に生きているから、オファーがあると、どんな内容であっても、決して断らないと言う。自分も青色申告をしているので、源泉徴収票を見ると、給料の記載もあるので、よく分からない。いづれにしても、今の自分の境遇が気に入っている。当然ながら、年齢と共に止める仕事もあれば、新たなオファーもある。好きな面白い内容もあれば、苦手でやる気のおきない内容もある、そして、うまく行く時と行かない時がある、のは、世の常である。自分も例外ではない。今日も、行き帰りで、面白くないこと、うまくいかないこと、などが脳裏をかすめたが、それでも、こうして、スポーツジムに通えるだけ、帰宅したら、夕食が食べられるだけ、安らかに身体を休めるベッドがあるだけ、幸せではないか、と思ったりする。今日は、最近のオファーを考えながら歩いたが、これは楽しい。過ぎ去った、終わった仕事のことは意味がない、これから始まる仕事のほうが面白い、常に、足し算で考えるほうが、楽しいのだ。新聞に、検診の数値主治医に褒められて花屋の春にちょっと寄り道(緒方英精)の句があった。いくつになっても、褒められることは嬉しい、数値が良くなることは、足し算なのだ。引き算もあるが、それは勘定しなくてもよい。昔は、よく家内から、あなたは反省病だ、と言われた。今は、言われなくなった。現役と自由業の違いなのか、責任の重さの違いなのか、否、どうも歳と共に、引き算から足し算の思考が多くなってきたからだろう。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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