今は、3月20日月曜日の夕方、書斎でパソコンの画面に向かっている。月曜日にブログを書くのは、変則的なのだが、明日火曜日は祝日だが、都内に1日中縛られる。小さな学会だが、講演をすること、学会の総会を仕切ること、などなどで、朝から夕方まで、忙しい、帰宅しても時間がなく、明後日の水曜日も、定例の水曜サロンというオンラインセミナーがあって、自分はホスト役なので、ゲストと対談をしなければならない、とてもブログを書く暇はない。有難いことだと、この歳で、と思いつつ、毎日を過ごしている。今日も、4つのオンライン会議をこなして、先ほど、すべて終わった。ほっとして、1階の居間に降りて、コーヒーを入れて、今、飲んでいるが、脳と心を癒してくれる。その上、今日は郵便物も多く、その処理をしていると、あっという間に時間が経つ。今日は、その中で、ふと目に留まった書類があった。自分は、地元の学校の評議員を引き受けているので、学校便りが送られてくる。毎月のことなので、あまり気にしないのだが、ふと読みたくなった。卒業式について、記されていたのだが、この忙しいのに、読む気はなかったのだが、ふと目に入って、読んだ。コロナ禍のために、評議員は、ここ数年間は、卒業式に出席できない。別に楽しみにしているわけではなく、長い式、寒い体育館、のためか、トイレに行きたいが、途中では退席できないので、むしろ出席したくないのが、本音であった。ただ、例外に、楽しみにしていることが、卒業生の別れの言葉、と、在校生の送る言葉、である。これは、凄い、さすがに、代表ともなれば、言葉の格調が違う、それは美文という意味ではなく、生徒が感じたそのままを、美しく表現するのだ、それは、大人ではできない、教師にもできない。卒業する生徒しか、在校生の生徒しか、語れない言葉の魅力なのだ。その言葉が、今日受け取った学校便りに、書かれていた。生徒の思いが、紙面から伝わってくる、胸の中に飛び込んでくる、たぶん、別れの言葉も、送る言葉も、全国の学校で、展開されているのだから、それらしい文法もあるだろう、春の季節から始まって、友達や先生のことなど、似たような言葉が、巻物のような紙に書かれているだろう、だが、それでも人の心を打つのだ。何故だろうか、分からないが、それは、生徒だからだろう。大人や教師が作った作文なら、陳腐な作り話でしか過ぎない、本物の生徒ではないからだ。今朝の新聞に、限界までしびれた足を投げだせば笑いに満ちる琴部の和室(武田奈々)の句を読んだ。作者は、学生であると言う。たぶん、女子高生だろう、琴部の部活があって、長い演奏で、足がしびれて、その恰好に、笑い転げた、なんと若くて、はつらつとしているのか、なんと楽しそうな光景なのか、なるほど、若さとは、この上なく美しく、他人に幸せをもたらすのだ。いつまでも、そのままで生きてほしい、と願うのは、教師の常であるが、笑い転げる生徒だけでなく、うつむいて悩む生徒もいるだろう。大丈夫、君たちは、若さという宝物を持っているではないか。
