茜空

今は、外は漆喰の暗闇、今日は変則的に、先にお風呂に入って、ブログを書いている。その後で、夕食になる。明日火曜日辺りが良いのだが、今週は忙しく、明日は、朝から夕方まで出張が入っているので、今日にした。今日も、4つのオンライン会議があったが、それでも昼間に1時間半くらいの隙間時間があったので、ジョギングをした。ジョギングは久しぶりで、どこか心弾む、帰宅すると、この冬でも汗をかく、すると、下着を変えたくなる、それなら、お風呂に入って、その後、ブログ書きという時間順序になった。最近は、スポーツジムに行っても、ランニングマシーンはあまりやらない、マシーンを使った運動は、周りの風景が固定されているので、変化がなく、文字通りトレーニングになって、我慢比べのように感じるからである。どこか、楽しみがないと、面白くない。ジョギングなら、周囲の光景が変わる、いつの間にか、広い敷地の農家に、アパートが立ち、大家の家は、お屋敷と呼びたいくらいの邸宅になっている。そうか、今は、土地を持っている農家が、一番のお金持ちで、優雅な生活ができるのか、自宅の近所でも、マンションを所有している家などは、昔からの土地持ちで、サラリーマンや公務員など、桁が1つも2つも違う。すごいな、と思いながら、小川の横の小さな道に添って、ゆっくり走るのだが、小川には、カモや白鳥、だと思うが、見ることができる。今日は、西向きだが、公園があって、そこに大勢の子供たちが、サッカーやドッチボールに興じている。それを眺めながら、その横に老人施設があって、ひっそりとしている。いつも不思議に思うのだが、お年寄りが大勢いるのだから、公園に出て、子供たちの元気な様子を見れば、楽しいだろうに、と思うが、外に出ている姿を見たことがない。自分は、ゆっくりとはいえ、走りながら、まるで田舎から都会に出てきた、お上りさんのように、きょろきょろして、風景を楽しんでいる。風景の中でも圧巻は、空だろう。冬の空は、乾燥していて、青空の青さが透き通るようで、そこに、グレーに混じった白い雲が、西空にも東空にも、広がっているが、冬として正統的な晴天で、空気がピリッとしている。この時間では、少しだけ、西空に茜がかった雲が見えるが、それは見とれるような光景で、今、自分は何をしているのか、もし自分が、先の老人施設に入っていたら、もし帰る家が無かったら、もしホームレスで食べ物が無かったら、どこか雨露を防ぐ場所はあるのだろうか、など、途方もない空想が浮かんくる。時折、ジョギングをしたり、スポーツジムから帰る時など、そんな現実味のない恐ろしいような空想をすることがある。たぶん、今はそんなことはない、という安心感を確かめたいのかもしれない。新聞に、寂しさに極上もあり寒茜(小沢隆)の句があった。もし、自分が老人施設に入っていたら、西空を眺めたら、冬の冷たい空に、茜色の夕焼けが見えて、なんと美しいと思うのだろうか、それとも、夕日の美しさが、我が身の寂しさや侘しさを、より一層深く感じさせるのだろうか、美しければ美しいほど、ある場合には、残酷な思いをさせるのかもしれない。自分は、まだ大丈夫だと思うが、もし惨めな境遇になった時、否、老化現象は確実にやってくる、体力も知力も気力も衰えていく時、美しすぎるような茜空を見たら、どう感じるのだろうか。とは言うものの、今が良ければいいではないか、これから、夕食が待っている。そう思えば、まだ楽しい。人は、あんがい楽天的に生きているようだ。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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