冬の小雨降る寒い日

今は、16日月曜日の夕方、外はもう真っ暗で、冬の暮れは早い。明日は夕方にオンラインが入って書けないので、今日に移した。今日は、朝から3つのオンライン会議があって、午後の会議は重要だったが、終わって、眼科クリニックに行って、検査をしてもらい、帰宅したばかりである。今日は、朝から小雨が降って、体感温度はかなり低く、曇り時々雨の天気は、空全体がどんよりとして、誰でも、少し鬱っぽくなって、こんな日に元気一杯などというのは、子供くらいだろう。ただ、今は、ブログ書きという気楽な時間なので、部屋の中にいると、エアコンの効いた温もりと、横のCDプレイヤーから流れる音楽、古いラジオ歌謡や童謡に、癒されて、ゆったりとしている。今日も、いろいろあった、仕事の事では、自分の所属する団体のスタッフ、午前の会議では、自分と関わっている企業の担当者、午後では、大学や企業や官庁の専門家、などと一緒に仕事をして、この人たちは、本当に優れた力を持っている、自分は、とても及ばない、と思うことが多い。それは、結構なことではないか、もう永い間、研究をし、論文も書き、対外的な仕事もし、そして、若い世代や、仕事盛りの人達の力量を、敬服するのは、人生の先輩として、老人の在り方として、悪くはない、もうバトンタッチの時期ではないか、と思うのだが、そこが世の中の難しさである。もちろん、そのつもりで、そのような立場で、発言したり、対話したり、挨拶をしたりするのだが、こんな曇天の寒い日には、むしろ、自分の能力の無さに、なんとなく、引け目を感じるのは、何故だろうか。いくつになっても、我が身の至らなさとか、自分は駄目だ、と思うのは、それも、老いていく身の感じ方かもしれない。家内にも子供にも、今の年齢なら、何も恥じることも、卑下することも、無いではないか、などと言われるが、性分なのだろか、否、これも老いの気力が衰えていく現象ではないのか、と思う。新聞に、こんな句があった。淋しいか淋しくないかと問いかける鍋のおでんの最後のちくわ(小杉なんぎん)。おでん屋さんで、1人で、たぶん老人だろう、おでんで一杯飲んでいる光景なのか、最後のちくわに、自分の姿を映し出しているのかもしれないが、それは境遇は違っても、老人の心境を詠っているような気がする。有難いと思うことと、自分はもう歳だから、これくらいしかできません、という恥じ入る気持ちが、混在しているのだろう。老いても元気盛ん、という人は、かなり稀だろう。それでも、そんな姿を人前にさらすのは、仕事をしている身としては、いくつかの委員会で発言している身としては、講演したり原稿を書いたりしている身としては、嫌だから、強がりを見せているのかもしれない。爺さんであっても、男であることに変わりはないから、どこか美学を持っていて、見苦しい姿は見せたくないのだろう。こんな冬の小雨降る寒い日には、どこか、気が弱くなってくる、が、それでいいのだ、人はそんなに強くはない、静かに時に身を委ね、音楽に癒されるのも、人の世の生き方である。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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