世の不条理

今は、土曜日の夕方で、外は真っ暗だが、今日は、12月24日、クリスマスイブである。平穏な夜を迎えるのが通例だが、世の中は、どうもそうはいかないようで、日本海側は大雪で、車の大渋滞で、耐えられないような時間を車の中で過ごした、と言うが、なんとかならないものか。アメリカも、大寒波の襲来で、停電が重なって、寒さに身を凍らせて、耐えていると、お昼のテレビ報道で知った。ウクライナの惨状は言うまでもなく、電気ガスなどの、生活インフラを中心に攻撃されて、暖房なしで極寒の冬を過ごすというから、ロシアには人道の欠片もない。遠く離れた日本から、歯ぎしりをするだけである。この世は、どこに行っても、惨状があり、心から同情するが、平凡な市民としては、どうしようもない。昔、学生運動が盛んだった頃は、プチブルと言って、軽蔑されたものだが、歳を取ると、若い頃のように、正義感に燃えて、気勢を上げるわけにもいかない。いくら革命を起こしても、すべての人が幸せになることは、あり得ないことは、諸外国の例を見れば、すぐ分かる。幻想に過ぎないのである。北陸地方の人々には、申し訳ないと思いながら、抜けるような青空を見ながら、スポーツジムから帰ってきた。しかし、街ゆく人のコートを飛ばすような、強烈な風が吹いていて、体感温度は、かなり低い。クリスマスイブなのに、と思いつつ、昔のような、赤いサンタの帽子をかぶった酔客が街を歩くような光景は、東京でもたぶんないだろう。コロナ禍以降、何もかも変わったような気がする。カリフォルニアに滞在していた時、クリスマスイブは、日本のような派手な騒ぎはないが、家々で、ケーキと大きなチキンの皿が、食卓にドーンと乗せてあって、家族でクリスマスイブを祝っていたようで、家内と2人だけで、渡米していたので、ささやかな晩餐だったことを思い出す。いつも夕食は、7時からだが、今日のレシピは、チキンの手羽焼きがメインディッシュらしく、あの香ばしさと美味しさが、楽しみだ。スポーツジムに行って、この寒い日にプールで泳ぎ、温かい料理をいただく、なんと贅沢な、といつも思う。先に書いたように、この世の不条理はどうにもならないことは、知っていながら、そして、自分だけがぬくぬくとしてるのは、小市民、プチブルと言われることは、承知の上である。スポーツジムに通えること自身が、健康であることの証であり、振り返ってみると、今年1年、感染病になった以外は、それも、1日だけ38度越えの高温だったが、それ以外は平熱だったから、はしかのようなもので、本当に無事に過ごせた。新聞に、病院に泣き場所欲しき十二月(菅沼葉二)の句があった。病院だから、大勢の患者さんがいるだろう、それぞれの思いを持って、もうじき退院できるとか、経過が順調だとか、深刻な病気ではなかったとか、嬉しい思いの人もいるだろう、そして、一人で、周囲に誰もいない隅で、泣きたいような思いの人もいるだろう。そんな辛い思いをしている人は、元気に回復に向かっている人を見ると、余計に涙が出てくる、慰めの言葉は要らない、欲しいのは、一人になれる場所である。年の瀬には、その辛さが余計に身に沁みるのだろう。自分が、もしそのような状態だったら、ブログどころでなく、悲観にくれているかもしれない。世の中の不条理を知りながらも、自分が小市民であることを知りながらも、未来はまだ捨てたものではない、来年こそ、素晴らしい年になる、と、声を掛けたくなる。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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