今日は火曜日、まだ夕方5時台だが、外は真っ暗で、この時期になると、初冬の感覚がして、どこか身体も冷えてくる。書斎は暖房が効いて、心地よい。平均すれば、週に3回くらいスポーツジムに行き、2回くらいジョギングをし、後の2日は運動しないことになるが、汗をかいた日は、新陳代謝が良くなり、夜もぐっすり眠れる。今朝も、途中で一回トイレに行ったが、すぐに眠って、朝まで起きることはない。健康は、誠に有難いもので、年齢が進むにつれて、その大切さがよく分かる。よく学びよく遊び、は子供の健康な生活スタイルだが、年配者は、適度に仕事をし、適度に運動をし、適度に好きなことをする、で良かろう。今流行りの言葉で言えば、well-beingな生活であるが、そのためには、運動は欠かせない。自分の生活パターンは、まさに、この通りで、好きなことと言っても、文献調査、原稿書き、出版の調査と原稿、講演準備などであるが、趣味と言っても同じである。ただ好きなことばかりでも困る、運動をしないと、どうしても、心が前を向かなくなる、年齢と共に、後ろ向きになるのは自然だが、身体を動かすことで、そのベクトルが逆になる。医学的にも経験的にも、その通りなので、実行している。もう12年近く、スポーツジムに通っているが、生活の1部のようなもので、身体のどこかに染みついている。また、早寝早起き朝御飯は、陰山先生が流行らせたと思うが、これは、子供だけでなく、年配者に、ぴったり当てはまる。何もしなくても、歳を取ると、自然に、この通りになって、もはや夜更かしなどは死語になる。どんなに面白い番組であっても、9時半を過ぎると瞼はどうしても抵抗できず、10時には既に床でぐっすり、夢見心地になっている。まるで、幼児か子供のようである。確かに、年齢と共に、子供に戻るのかもしれない。家内と二人暮しだから、若い者はいないので、老人家族だが、それを長い間経験すると、この生活を壊したくないと思うようになり、年に2回程度、子供たち家族が戻ってくるのは嬉しいものだが、ずっとでは困るというのは、自分たちだけではないだろう。価値観も生活リズムも行動パターンも、すべて異なるのだから、つまり異文化なので、当たり前だが、今のままが良いのだ。今は、お風呂に入る前、その後の夕食がある、そう思うだけで、何か嬉しくなって、今日は確か、オムライスと、豆腐料理に、魚だったか、と思い出す。ブログを書くのは、振り返りの時間でもあるので、昨日は忙しかった、仕事でいろいろあったが、なんとかなった、とか、今日は、時間はゆったりあって、好きな調査ができた、とか、走馬灯のように、過ぎていく。これでいいのか、1日1日が瞬く間に過ぎていく、この世のことは、夢のようなものかもしれない、浪速のことも 夢のまた夢、と秀吉の辞世の句のように、現実と夢の区別もあまり意味がないようだ。ただ、子供は、現実も一生懸命生きて、そして、楽しい夢を見る、新聞に、眠る児の手に団栗も眠りけり(中村昌男)の句があった。子供がしっかりと団栗(どんぐり)を握っていたが、眠ると共に、手のひらが開いて、団栗も、同じように眠っているようだとしたら、遊び疲れた子供の見る夢は、何だろうか、そして団栗の見る夢はなんだろうか。老人も、運動で疲れて、子供のように、晩酌付の夕食を楽しみ、ぐっすりと眠り、そして見る夢は、何だろうか。自分は、今のままで良い、これ以上は、贅沢だから。
