秋の夜長

今は、土曜日の夕方、外はすっかり暗くなって、秋の暮れ、とはこのような静かなものなのか、と平凡ながら実感する。いつものように書斎でブログを書いているのだが、机の横にCDプレイヤーがあって、かなり昔に通販で買ったCDをかけて、聞くともなく聞いている。ほとんどが童謡かラジオ歌謡など、すべて郷愁をそそるような曲で、自分の好みである。たぶん高齢者なら、誰もが、ほっとした気持ちになるだろう。そして、今日1日を振り返る、あるいは、この1週間を振り返る。つつがなく、事故なく、平穏に、今日も過ごしたか、という印象で、午前中は、書斎で仕事、原稿の校正、研究の録画ビデオの視聴などだが、手帳には、審査系の仕事と書いてあるが、それよりも、原稿や研究のほうが、はるかに楽しいので、つい、楽しさを優先するのは、凡人なら仕方がないだろう。午後は、家内と車で出かけ、月1回のお墓参り、お昼は回転ずしで、畑関係の買い物をして、帰宅する。その後は、家内は家内で何やら忙しそうで、自分はスポーツジムに行った。ずっと仕事では、精神的にも身体的にも、健康状態を保てない、ジョギングとかスポーツジムなどを入れて、身も心もリフレッシュすることを心掛けているが、これが、自分に合っている。歳をとってきて、早寝早起き朝御飯、を実行しているので、すこぶる健康で、認知症などは、遠い世界の話のような気がする。研究の録画ビデオは、英語によるプレゼンだが、面白い、こんなことを考えるのか、その発想に惹かれ、自分の原稿、長文の原稿なのだが、校正をするだけで、その世界に浸るので、脳血流が脈々と流れているような気がする。これは、自分の専門だからであって、日常生活における認知、特に人名や地名などの固有名詞は、もうお手上げで、つい昨日のことでも、忘れて、名前が浮かんでこない。テレビに出てくるタレントなど、家内と、あれ、これ、など、指示語だけで通じるので、正確な言葉で会話することを、もはや諦めているようで、たまに、数日後に、あの人の名は、これだと叫んで、なにやら発見でもしたかのような、喜色満面の表情をすることがある。まあ、タレントの名前くらい出てこなくても、と思うが、知人になると、さすがに、少し深刻な事態になって、もし会議やら儀式やらで、思い出せなかったらどうしよう、と話すこともあるが、実際にそのような経験もしている。何か、老人になったら楽しみはなくなるのか、テレビを見ても、すぐに眠くなり、歌番組は知らない歌ばかり、お笑い番組は、何をそんなに馬鹿騒ぎをするのだろうかと思い、ドラマは、どちらかと言えば、時代劇を好み、まともに見るのは、ニュースだけと言うと、若い人から見れば、つまらぬ人生だと思うかも知れない。新聞に、秋の暮れそろそろ晩酌良いですか(加藤英行)の句があった。分かる、その気持ち、と言いたいところだが、日本酒は飲まないので、自分では、この晩酌劇場の役者にはなれない。所在ない秋の一時、まあ、少しくらい早く一杯飲んで、庭のバラはきれいだとか、少し肩が凝るだとか、明日は日曜だからゆっくりしようとか、温泉でも行きたいが、どこがいいだろうかと、思案するのも良かろう。世は太平、平穏、ならば、秋の夜長も悪くない。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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