今は、火曜日の夕方、西空が薄紅色に染まって、雲が赤から白へのグラディエーションになって、美しい光景が、西窓から見える。秋の夕方は、日の暮れるのが早く、もうほとんど暗くなってきて、家々やマンションに灯りが点いて、一日の終わりを告げている。今日は何をしたのだろうか、久し振りに都内に出かけ、歯科医院に行って歯の掃除、事務局に行ってオンラインの事務局会議、帰宅して、先ほど、眼科クリニックで、目の検査と薬をもらって、帰宅したばかりである。あまり生産的なことはやっていないが、年相応に、医院に通わなければならない。それは、まあ当然のことで、たまには都内に出かけて、人ごみに混じるのも良し、医院に行って、看護婦さんやお医者さんに治療や検査を受けるのも良し、自宅にこもるだけが能ではないだろう。目は眼圧と視力検査だけで、歯も治療ではなく、歯茎などの掃除なので、別に気にすることもない。事務所に行って、スタッフと対面で話すと、雑談に花が咲き、どこか面白い。お昼は、少しダイエットを考えて、きつねうどんにしたが、「なか卯」の定番で、いつ食べても美味しい。眼科は、自宅から徒歩2分もかからない距離で、午後4時頃では、若い夫婦が幼児を連れてきている、学校帰りの子供が母親に付き添われてきている、平日の午後にしては、それなりの患者さんがいて、繁盛というのもおかしいが、賑わいを見せている。それも、大した病気ではなく、軽い症状だったり、自分のような定期検査であったり、まあ、健康診断のようなものなので、気楽に待合室で待っている。有難いことに、30分位で、すべて終わる。薬屋さんで、目薬を買って帰宅すると、もう夕方になっている。だから、今日は、何をしたのだろう、と思ったのだが、それでいいのだ、いつも、走っているわけにはいかない、頭を全開にしているわけにもいかない。今は、秋の夕暮れ、一息ついて、ゆったりとして過ごすのが、普通の生活だろう。歳を取るということは、心配事や不安なことを、一旦棚上げにして、目の前に起きてること、それが、歯科医院でも眼科クリニックでも事務所でも、ゆったりと見渡すような心境になる、ことかもしれない。しかし、そこが凡人の浅はかさで、あれはどうしたものか、難しいかもしれない、採択されない時は、など取り越し苦労をするものらしい。新聞にこんな句があった。川の字になりて子犬とお昼寝中、孫無き二人に孫を授かる(須崎輝男)を読めば、子犬が孫になって、老夫婦が目を細めている光景が目に浮かぶ。平日の午後、所在ない時間、うとうととして、可愛がっている子犬が、間に入っている、たぶん、いろいろな事があるだろう、子供たちのこと、家族のこと、病気のこと、何もないことはないだろう、しかし、子犬を孫だと思えば、こんな幸せなことはない、と思っているのか、老いるということは、どんなことがあっても、優しく生きる知恵を持つことなのだろうか。自分も、どんなことが起きても、幸せに転嫁する知恵を持ちたい。
