今は火曜日の朝6時台なのだが、夕方に時間がなく、明日も夕方にオンラインが入っているので、早朝の今、7時からの朝食の前に書いている。今日は、あまり興味はないが、国葬の日で、都内は警備で大変だろう、それにしても、気温も高くも低くもなく、秋晴れの天気で良かった。政治的には右も左でもないが、葬儀なので、故人のご冥福をお祈りしたい。この頃は、いろいろな仕事が重なって、意外に時間が取れない、あの時、こうすれば良かった、こうしておけば、もっとスムーズにことは進んだのに、など、凡人は、後で後悔する。自分も、家内から反省病と言われるくらい、後でいろいろ思い悩んだり、過ぎたことは決して戻らない、と知りつつも、悔やんだりすることがある。それは、仕方のないことで、性癖なのだろう。有難いことと反省することは、紙一重で、今ブログを書いているのは、有難いとも言えるし、そのために9時からのオンライン会議の準備ができない、と反省することになるかもしれない。それでいいのだろう。自分のような年齢になると、仕事があるだけで有難いのだ。明日も明後日も、手帳が予定で埋まっていて、若い頃から、忙しいと言いながら、今日まで来た、思えば、もう9月も終わりに近づいている、なんとかの会議やら、なんとかの審査会やら、なんとかの研究会やら、その度に、ハラハラしたりもするが、終わって見れば、どこか学校の先生がニコニコしながら見守ってくれたような、子供のような嬉しさがある。しかし、大人になると、そこに反省したり、意見の食い違いがあって、腹を立てたりする、それが、凡人の姿なのだが、大人も、子供と同じように、嬉しさだけを味わえば良いのかもしれない。何も、反省して、自分を卑下しなくてもいいではないか、と思う。毎日、仕事がある、何かやりたいことがある、それで良い。それは、嬉しいことばかりではなく、苦みを伴うことがあるかもしれない、それでも、振り返ってみると、なんだ大したことではない、まあまあ、か、などと思いながら、人は、毎日を過ごしているのだろうか。ゴミ出しに空見る余裕涼新た(北村和枝)の句が、新聞にあった。なるほど、夏の蒸し暑さがあって、その苦みを味わったから、秋がきて、その爽やかさに、朝のゴミ出しの時に、今日もいい天気で、気持ちのよい風も吹いて、有難い、と思っているのかもしれない。ということは、夏の蒸し暑さが、必要なのだ。なんとか、7時の朝食前にブログを書けた。時間が不足している、ことは、自分には必要なことなのかもしれない。
