小さな幸せ

今は、火曜日の朝、ブログを書くには、変則的な時刻だが、今日は久し振りに所属団体のある溜池山王に行き、諸々の用事を済ませて、帰宅するのは夕方になるので、書く時間がないからで、明日も夕方までオンラインの委員会があって、という事情なので、隙間時間を使うことが賢明だからである。昨日も一昨日も、台風の影響で、雨風が時々猛烈な勢いで襲ってきて、書斎の窓ガラスを叩きつける様子に、連休中だが、スポーツジムに行くのは無理だな、と思って、ある資料作りに夢中になっていたが、午後3時ごろになると、急に空が明るくなって、少し陽光がさしてきたではないか、不思議な気がしたが、これは有難い、すぐにスポーツジムに出かけようと思って、支度をしたら、有難いことに、帰りは雨も降らず、健康的な汗をかいて、爽快な気持ちで帰宅した。これも、隙間時間の活用である。手帳に、諸々の仕事や用事やオンライン会議などを記入しているが、googleカレンダーにも忘れないように書き込んでいる。オンラインだと、オンラインURLが必要で、それは紙の手帳では無理なので、デジタルのカレンダーを利用している。手帳やカレンダーを見ると、都内に通勤している時代と違って、書斎のパソコンで用事が処理できるので、隙間時間がよく分かる。この時間は、ジョギングでもしようか、この時間は、ネットで調べたいことがあるから、この時間は、近所のスーパに行こうか、そう言えば、洗面所のタオル入れが故障している、直してみようか、ロボット掃除機のルンバが仕事を終えて、電気口に戻るのだが、うまく戻れない、調べて修理してみようか、など、思いつくことが多いのだが、その思い付きを、電話帳の横にあるメモ用紙に書き込んでいる。それが、極めて効果的で、実際、洗面所のタオル入れも修理できて、ガタガタ音がなくなった、ルンバも1回で電源口に戻ることができた、自分もまんざらでもない、少しは役立つではないか、と嬉しくなった。すると不思議なもので、洗面所もルンバも、使う度に、しげしげと眺め、どこか愛着を感じる。こんな小さなことでも、人は、喜びを感じて、今日もスポーツジムに行けて良かった、洗面所で朝がスタートできる、ルンバがいて助かる、夕食も運動した後だから美味しくいただける、と、小さな幸せ感が体中を包み込むような気がする。文脈は違うが、新聞にこんな句があった。おかずを移すフライ返しの音さえも快い夕べ母が居るから(金沢潤子)に、同感した。読者の母は、久し振りなのだろうか、何か事情があったのだろうか、母親がそこにいるだけで、すべてが心地よく感じるのだろう。人の幸せとは、このような些細なことかもしれない。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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