昨日も今日も猛暑で、午前中は書斎で仕事をして、午後は買い物やスポーツジムに行って、土日を過ごす。午後にオンライン会議などがないので、気楽に過ごせるが、この猛暑では、スポーツジムに行って、プールで泳ぐのが、極上の贅沢な一時になる。今日も、そんな過ごし方だが、ジムからの帰宅時刻でも、まだ容赦なく太陽が雲の合間から、照り付ける。帰宅して、冷えたお水を飲み、家内が冷えたスイカを出してくれると、そのみずみずしさが腹に沁み込んで、スイカはこんなに甘かったか、と思い、その後に、ガリガリ君のアイスを食べ、居間のクーラーの下で涼むと、ようやく生きた心地がする。それでも、まだ喉が渇くので、よほど汗をかいたのだろう、身体が、水分を欲しがっている。書斎にいても、西日が窓から入ってきて、書斎のクーラーもそれほど効いていないようだが、まあこのくらいでいいだろう、と思い、パソコンを開いている。連日の猛暑で、危険な暑さ、という形容は、まんざら嘘ではないようで、お昼のニュースでも、同じ埼玉県の熊谷で39度を記録した、というから、尋常ではない。地球温暖化は、肌で感じるが、この異常さは、収まりそうもない。ウクライナの戦場の惨禍、第7波のコロナ感染者数の急増、この連日の猛暑、どこか、地球全体が、平穏ではなくなってきた感がある。こんな時、自分のような年齢になると、ふと昔が良く見えてくる。騒がしい日常から離れて、静かな里に行きたくなる、来週は、4日間の出張があって、神戸に行って文科省の審査の仕事をしなければならない、それはそれで楽しみであるが、同時に、この猛暑日に出張して、狭いホテルに泊まって、小さなお風呂で、と思うと、どこか面倒な気持ちがするのは、歳のせいだろうか。一言で言えば、安らぎを求めたくなるのかもしれない。スポーツジムに行けば、プールに水しぶきが上がる、ゴルフクラブを振れば、汗で顔中がびっしょりになり、自宅からの徒歩で、身体が火照ってくる。静かな、平穏な、穏やかな気持ちになりたくて、昨日、久し振りに、書店で本を買った。まだ読んでいないが、平凡な人生に、ほのぼのとした生活を描いた小説だと書かれているから、自分の気持ちに、そのような、大きなゆりかごに包まれたい思いがあったのだろう。人は、いつもいつも元気でいることはできないのだろう、時に、疲れて、椅子の背もたれに身を委ね、時に、何もしたくない、時に、愚痴も言いたくなるのだろう。そんな時、小説でも、癒しになるのかもしれない。新聞に、こんな句があった。帰省して村の大きな木と話す(船橋充子)、たぶん、作者も、大きな木にもたれかかって、身を委ねたかったのかもしれない。それでいいのだ、人は、元気に仕事をしたり、時に大声を張り上げたり、時に疲れて何もしたくなくなったり、時に、自分が無能に見えたり、いろいろある。なるほど、人生いろいろ、である。
