今は、火曜日の夕方、気温が低めで、過ごしやすいのは、今朝から小雨が降っているからである。昨日は、猛暑で、オンライン会議が4つあって、しかも庭の草取りをしたから、体中から汗が吹き出して、こんな日が続くと、文字通り夏バテになる、と思った。が、今朝起きて、居間から延長の縁側に立って、庭の草木を見ると、雨に濡れて、華やいでいて、存在感を主張しているようだ。そうか、草や花も、猛暑では熱射病になるのかもしれないし、小雨が慈愛に満ちた贈り物なのかもしれない、生き返ったような色をしている。昨日が休刊日で、今日の新聞に、こんな句があった。雨上がり若葉青葉のかがやけり(大串若竹)、のように、恵みの雨で、葉も輝きを増している。今は、百日紅(さるすべり)の花が満開で、景色をピンク色に染めて、目を楽しませてくれる。文字通り、百日近く、緑の葉っぱにピンクの花が咲き、そのコントラストは艶やかで、こんな風に、日本人は、季節毎に、心を添えて、自然と一体になろうとしているのか、と思う。ここ数日は、炎天下の中、用事があって、市内を車で走り廻っていた、それは、暑い日中と戦っているようで、自宅に帰ると、極楽の言葉が似合うような、過ごし方だったが、今日は、涼しく、朝に4回目のワクチン接種を済ませ、激しい運動は控えるように、と看護婦さんに言われて、オンライン会議の他は、書斎で、自分の仕事に精出した。が、どこか、けだるさや、眠気があって、集中度は高くない、仕方ないだろう。そして、今日も暮れていくのか、毎日、いろいろな仕事をし、処理をこなし、立場に応じた対応をし、それなりに気を遣い、この時間は自分の仕事をし、などで時間が経ってしまう。それでいいのだ、猛暑日もあれば、小雨の降る日もあり、時に大雨の土砂ぶりの日もあり、困った、とか、これは面白いとか、小さな出来事に、一喜一憂しながら、時が過ぎていく。国の舵取りをするような人は、責任も重く、その重さに応じた生き甲斐や苦労もあるから、振幅の大きな過ごし方かもしれない。が、事の大小で、人の哀歓の大小は測れない、子供は子供なりに、庶民は庶民なりに、苦労もあれば喜びもある。どんなことも、人の受け止め方で、一喜一憂の振幅は、変わってくる。それは、事の大きさには比例しない、とすれば、喜びは大きな山で、不幸は小さな谷で、という波に変えればよい。と思えば、今日も、上出来の日ではないか。
