今は、火曜日の昼間の時刻だが、今日と明日の夕方に時間が取れず、ブログを書いている。雨が少し降って、猛暑から少し離れて、過ごしやすい気温になった。仕事をしていれば、意見が合うことも合わないこともある、そして自分の役割は、その調整役だから、気楽のようで、そうでないようで、何んとなく損な役割をしている気がする。今日の午前中は、市内の小学校に行って、授業参観をした。研究指定校の関係で、仕事半分、研究半分の、文字通り気楽な時間を過ごした。学校は、昔と変わらない、中学校に行った時、各生徒たちの椅子の背に、雑巾が掛けてあった、どうも雑巾を自然乾燥させているらしく、先生に聞いたら、今でも同じように、小中学校共に、掃除は雑巾掛けをしている。そう言えば、授業の始めと終わりは、起立、礼の声に合わせて、よろしくお願いします、と、ありがとうございました、と斉唱するが、これも変わっていない。昔と同じかと思うと、内心、ほっとして、日本人に生まれて良かった、と思う。子供たちが、元気そうに授業に参加している光景を見ると、嬉しくなり、どこか窓の外を見ているような子供がいると、自分の孫のように、心配になる。学校は、昔の姿を映し出して、少年のような気持に引き戻す。そう言えば、自分も同じだったか、遠い過去を思い出し、長い間生きてきて、今、このように過ごしていて、仕事をすると、面白いことも煩わしいことも、降りかかってきて、歳を取った、という感慨がある。同じ日本人なら、分かるだろうに、と思うが、現実は、なかなか難しいことがある。この前、北陸に旅行して、若狭で箸を買った、その箸を食事時に使っているが、その軽さ、装飾の細やかさ、繊細な色使い、があって、食べやすく、確かに日本人が作った箸だな、と思う。この細やかさ、隠れているが見えない所での気遣いが、感じられる。それが、逆に、人間関係を煩わせているのかもしれない、と思うこともある。もっと大胆に、ストレートに、装飾なしで、忖度なしで、モノを言えば、気楽なのではないのか、裏を読まないと、真意が分からないような世界は、たぶん外国人は生きにくいだろう。日本人の良さでもあるし、世界には通じにくい文化でもある。声張りて土俵ひらひら跳ぶごとく夏の衣の行司伊之助(望月廸子)の句が、新聞にあった。日本文化の象徴のような相撲行司だが、軍配を刺し違えたら切腹という昔のしきたりに従って、短刀を指し衣装を纏う、と聞いたことがあるが、先の箸作りと似た感覚がある。この文化が、日本を支え、発展させてきた、それは、先の授業の、起立、礼、雑巾がけの掃除と同じだろう、と思えば、仕事上のトラブルも、同じ文化を共有しているなら、もっと協力すればいいのに、と今の自分は、行司役かと思いながら、嘆息している。
