今は土曜日の夕方、良く晴れた夕刻、と言っても、まだ日は沈まず、空は明るい。今日の天気は、曇り予想だったが、晴天に変わった。土曜の夕方は、どこか気が緩んで、過去を振り返るにはちょうどよい日時なので、ブログを書くことにしている。6月は企業や団体にとって、予算や決算期で、事業の報告や計画などがあって、いろいろな組織に関わっている身として、忙しいのは慣れているが、7月に入ると、そのようなセレモニーが終わって、自分のやりたい仕事、出版の企画、そのための資料などの準備、原稿書き、講演資料など、集中してできるか、と思えば、さにあらず、1ページも書けていないのは、締め切りが迫っている仕事に追われているからで、それは団体のための仕事であって、有難いのだが、嬉しいような、迷惑のような、複雑な心境になる。ただ、この年齢で、まだ仕事があること自身が、家内の言葉を借りれば、奇跡のようなことで、それは感謝の言葉しか出てこない。自分のやりたいことは、きわめて贅沢なことで、時間を見つけて、やらせてもらうことであって、という謙虚な気持ちは、現役の頃と変わっていない。世の仕事は、なかなか複雑で、楽しいとも苦しいとも言えるのは、前に書いたブログと同じである。これさえ無ければ、この件だけ解決すれば、すべてハッピーなのだが、と思うことは、誰でも同じだろう。昔、成田空港で猛烈な腹痛が起きて、空港の病院で治療をしてもらったことがある。国際電話をかけて、明日の飛行機で行くと、連絡して、病院のベッドで点滴を打ってもらったのだが、この時だけは、文字通り、これさえ無ければ、この痛みさえ解決すれば、と天に祈らずにはいられなかった。翌日、奇跡的に回復して、予定の便で空港を飛び立った時は、嬉しさで、文字通り天にも昇るような気持だった。これさえ無ければ、と願う気持ちは、誰も持っているだろう。安部元総理が銃撃されて死亡したというニュースは、昨日のテレビ番組を、一色に塗りつぶした。天地がひっくり返ったような騒ぎだったが、一夜明けた今日、その余韻はあるものの、次の出来事が待っているかのように、過ぎていくのだ。近年例を見ないほどのウクライナの惨状のことも、新聞の第1面を飾らなくなった。だから、この世の中は、今しかなく、これさえ無ければ、と思っても、別の波がやってきて、喜んだり悲しんだり、を繰り返すのだろう。どこまで探しても、永遠の楽園はないのだ。車窓から見える町では穏やかに暮らせそうだと愚かに思う(のぶつばき)の句が、新聞にあった。作者もそれが幻想にすぎないことを知っている、知っていながら、現状から逃れたい、現状に正面からぶつからなければ、と分かっていながら、別の世界なら、と思う気持ちは、よく分かる。現実は、いつまでも、小さな波はやってくる。それは、嬉しいことも悲しいこともあるのだ。
