歳を取ってくると

今は、土曜日の夕方、と言っても、空は灰色一色で、青空が見えない、梅雨時だから、それで当然だとは言うものの、はやり、晴天のほうが、人の気持ちも晴れる。今日も、スポーツジムに行って、プールで泳いできて、お風呂に入る前の、所在ない一時で、ブログを書くには、もってこいの時間である。ブログも、書く時の心境によって、明るくなったり、暗くなったりするのは、当たり前であるが、概して言えば、歳を取るにしたがって、暗い方向に向くのは、仕方がない。腰が痛くなった、肩が凝ってきた、転んで怪我をした、忘れ物が多くなったなど、数えればきりがないほど、脳も心も体も弱ってくるのだから、話題が、そのマイナス向きに行くのは、当然なのだ。老人性うつが増えているというが、コロナ禍のせいで、外出をしない習慣が身に付くと、さらに症状が加速される。さて、自分はどうだろう、と振り返ってみると、頷くことも多いが、そうでないこともある。それは、仕事を持っているからではないか、と思う。昨日は、都心のど真ん中、丸の内の格式ある、皇居を見下ろすような部屋での会議に参加した。大企業のトップ、執行役員クラスの人がずらり、後は大学の学長が数人、場違いのような自分も入って、議論に参加して、最後は、高級そうな昼食を食べて、帰宅したので、半沢直樹のドラマに出てくる、役員会の会議のような雰囲気と重さがあって、帰宅しても余韻が残っていた。今日は、スポーツジムという健康維持のための時間なので、リラックスして、会議のような堅苦しさはない。帰り際、肩こりなどのマッサージ機なのか、健康器具なのか、分からないが、受付の前のスペースで、商品を片手に盛んに宣伝している人達がいた。これも、ビジネスか、と思うと、同じ企業と言っても、天と地のような差があるのかと、少し嘆息した。というのは、大企業のトップでも、定年が来れば、高級な椅子から落ちるのは、国会議員と同じで、選挙に落ちれば、ただの人というように、その落差が大きいのだ。自分は、有難いというか、ゆっくりと下り坂を降りているようで、飛行機の着陸、スローランディングに近いような気がする。これが、急に天から地へという変化だったら、現実の状況を受け入れられないから、うつ病になるだろう。歳を取ると、知力も体力も弱ってくるのは自然であって、それに逆らうことはできない、が、ここが肝心で、不可逆ではあるが、速度を緩めることはできるのだ。自分は、まだ論文を書いている、それが嬉しい、そのためには、これもあれも、したいことが山積する、最近、このブログでも書いたが、腰が痛くなり、肩が凝ってきた、だから、よけいにプールで泳いで全身運動をし、時にジョギングをする、それは、老人性の進行速度を遅くすることになっている。実際に腰の痛みが薄らいできている。何もしなくなったら、脳も体も心も病になるだろう。そこを反逆すること、それは脳を使い、身体を使うことだと思う。新聞にこんな句があった。通院の予定のほかは何もなし手帳を開けば海が広がる(森秀人)、これは特別ではなく、近所を見ると、同じような人が多い。この作者は、何も予定はないが、海のような解放感を味わい、人間関係の煩わしさから逃れていて、今を楽しんでいるのかもしれない。とすると、歳を取ってくると、人によって、様々な生き方をしているらしい。それもいいか。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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