今は、5月24日火曜日の午前8時半なのだが、ブログを書いている。今週は、何とも忙しく、夕方に書く時間がないのだ。いつものブログのように、スポーツジムでも行って、心身共に爽快な気分で書くのが良いのだが、今週はすべて塞がって、身動きがとれない。今日も午前は、学校評議員を勤めている関係で、近隣の中学校を訪問して、会議や授業参観や、そして給食もいただく。が、この歳になると、食べ盛りの若い中学生の量と同じでは酷であるが、仕方がない、これも仕事である。そして、帰宅してすぐに、都内、しかも永田町の自民党本部で、議員や官僚の皆さんとの会議に出席すなければならない、対面だから、時間もさることながら、今日は、日米豪印によるクアッドの会議があるから、永田町、特に国会議事堂、首相官邸、自分党本部辺りは、警備で大変だろう。駅から党本部までの間、そして正門玄関で、警察官や警備員に、尋問されるだろう。遅れてはいけない会合なので、少し早めに自宅を出る予定にしている。明日と明後日も、自分にとっては、ここ大一番の講演があって、気を抜けない。講演、原稿、出版などは、会合などの仕事とは別の活動であって、自分が生きている証拠、自分が自分であることの証明、アイデンティティ、であるから、最も大切なのである。他人には知られたくないが、講演でも、かなり気を遣って、決して同じ内容ではなく、新しい情報や知見、気付きを盛り込むようにしているが、そこは、まだ素人のレベルで、優れた人の講演を聴くと、これは天性のものか、と感じることがある。というような訳で、土曜日まで緊張が続き、時間に追われているが、思えば、若い頃から、ずっとこのような生活だった。むしろ、この歳になっても、忙しさや仕事が続いていることが例外であり、人とは別なのかもしれない。夕方、お風呂前に、よく家内と、そんな話をするが、自分でもそうだと感謝している。だが、いづれ、仕事やお呼びの来ない生活がやってくるだろう。終電の音に抱かれて息をする金がなくとも家族なくとも(壱羽鳥有)、の句が昨日の新聞にあった。これほど、何もない、ということはないだろうが、人は誰でも、何もなくなっていくのが、自然である。だから、毎日を息をするだけでは、詰まらないのだ、楽しいことを見つけ、面白いことに挑戦して、自分の足跡を残していく、それなら、息をしている間、笑顔で過ごしていける。
