世の中の表と裏

今は水曜日の夕方、週の中日で、ブログを書く日と決めている。今日も、昨日も、平凡ながらいろいろなことがあった。ニュースでは、マウリポリがロシアに占領されたと報道していて、悔しく、悲しい思いをする。しかし、フィンランドやスウェーデンがNATOに加盟すると表明して、強い味方ができたと笑みがこぼれてくる。が、トルコが加盟に反対していると聞くと、何を考えているのだ、と憤慨する気持ちになり、北の方では、ウクライナ軍が善戦して、ロシア軍から領土を奪い返している、と聞くと、まだ大丈夫と、元気が出てくる。なるほど、一喜一憂とはこのことか、人間の単純さに、改めて納得した。考えてみれば、マウリポリの製鉄所に立てこもった兵士たちの命が救われたのだ、喜んでいいのだ、どう見るかで、正反対の解釈ができる。テレビドラマや漫画の世界では、半沢直樹の倍返しのような、大逆転が起きて、聴衆者の拍手喝采を浴びるのが通例で、それがドラマの面白さであり、溜飲が下がる、のだが、現実世界は、そうはいかない。最後はどうなるのか、誰も予測はできないが、現実の動きは、劇作家でも筋書きを描けないだろう、とすれば、当事者には申し訳ないが、ウクライナよ頑張ってくれ、としか言えず、このブログを書き終わると、美味しい夕食やビールが待っていると思って、しばしの時間を過ごしている。庶民とは、なんと有難く、舞台の演劇を見ているような気持になって、事の成り行きを見守っている。ただ、どの立場から見るのか、それで世界の見え方が違うのは、その通りなのだ。今年も去年も風邪を引かなかった、コロナのせいで、うがいをよくし、マスクをしたからである。統計では、日本のインフルエンザの感染者数は、激減していると言う。何でも、表と裏がある、と思えば、このブログでも書いたように、良い面を見ていけば、人の心は、楽しい思いで満たされるのだから、幸せな生き方ができる。今日も、オンライン会議が2つあり、終わってからジョギングをして、初夏のような日差しを浴びて、汗びっしょりになって帰宅して、冷えたグレープフルーツを頬張ると、ああ、快感、と叫びたくなる。それでいいのだ、プラスの面を見ていこう。新聞に、ていねいに手を洗いをり花疲れ(加藤賢)、の句があった。作者も、コロナ禍で手を丁寧に洗う習慣が身に付いた、と思っているとしたら、コロナ禍も、それなりに意味があるではないか。確かに、この世の中は、腹が立つこと、面白くないこともあるが、楽しいこと、面白いことも、逆の面から見ると、そう見える。ということは、絶対ということはないのだろう。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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