人の言葉

今は、5月7日土曜日の夕方で、スポーツジムから帰宅して、いつものように、書斎で週2回のブログを書いている。大型連休も明日で終わりというから、平凡ながら時間の早さに驚くが、この連休は、いろいろなことで埋まった。明日は、珍しく対面での仕事の会合があり、昨日の午前中は仕事のオンラインがあり、午後は、日帰り温泉に行ったが、この連休に2日を日帰り温泉で過ごした。駐車場も満席で、誰も考えることは同じようだ。今日は、初夏のような日差しで、ジムの2階にある屋外のジャグジーに浸かって、街を眺めていると、もう夏休みでリゾートに来ているような錯覚に襲われる。午前中は、計画した仕事というか自分の好きな活動をしていたが、専門書を数冊買って読み、論文も読み、データ分析もしたが、これは、趣味のようなものである。ブログに書くほどのものではないが、自分の専門と少し離れた文献から、アッと思うような示唆を得ることがある、こんな凄いことを考えているのか、と圧倒された2冊があった。研究と言っても、自分でオリジナルだと言えるのは、たぶん5%か10%程度だろう、ほとんどが他人の論文か、専門書か、引用文献なので、他人から学んでいるのが実情である。つまり、人のお陰で、研究が成立している。が、この世には、その逆もある。この連休中に、NHKのドキュメンタリを見た。競泳の萩野公介さん、バレーボールの大山加奈さんなど、超一流の選手たちが、SNSなどで、結果が思わしくなかった時のバッシング、過剰な期待などで、精神的に追い詰められて、死にたいと思うことが何度もあったという事実を知って、思わず、アッと声を挙げた。今は、他分野の一流のアスリート達による、心の開放を支援する活動が、広がっているという。研究のように、文献に綴られた言葉、内容、それは光り輝く珠玉のような存在感を持って、自分に語りかけてくれる。しかし、SNSのような不特定多数の、心ない人たちの言葉は、時に凶器となり、一流のアスリート達の心に傷をつけて、生きる勇気さえも奪うという。言葉とは、なんと、恐ろしくも驚異的な働きをするものなのか。新聞に、こんな句があった。変異するたびに毒性強めつつ広がりゆけりヒトのうはさは(原田浩生)、読んでいるとコロナのことかと思いつつ、そうではなく、人のうわさだという展開も面白いが、人の言葉は、まるでウイルスと同じという作者の思いに同感した。人は、他人の言葉によって、励まされたり、落ちこんだりする、勇気をもらう時もあれば、失意で生きる気も無くしてしまうこともある、言うまでもなく、教育に関わる人の言葉は、励まし、元気を与え、良薬であり、明るく輝いていなければならない。自戒したい。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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