今は、火曜日の夕方、昨日も今日も、仕事が始まれば、いろいろなことが起きる。自分は現役引退の身だから、あまり責任は感じなくてよいのだが、それでも、いろいろな役職を持っていると、いつも水戸黄門のような身分ではいられない。それなりのストレスもあるが、それで良いのだ。逆に、今働き盛りの人は、企業、官庁、学校、大学など、職種は違っても、もがいている、なんとかしようと思いながら、小さな失敗をしながら、それでも希望を捨てないで、頑張っている人が多い。自分の立場や役職上、いろいろな相談事や依頼などが、舞い込んでくる。そして、世の常として、すべて成功するとは限らない、というより、誰でも経験しているように、うまくいかないことのほうが多い。その度に、自分は、まだまだ力不足なのか、背伸びをしているだけか、と悲観したり、それでも、家族のためにと、自分を鼓舞している人も多いだろう。自分のような年齢になっても、自分の力量を嘆くことも多く、いつになったら、人間は自信が持てるようになるのだろうか、と思う。こんなことを言うと、息子や娘婿や教え子などが、うそでしょう、と言うが、本音なのだ。誰でも、同じではないだろうか、他人が、自分よりはるかに偉く見えるのは、石川啄木だけではないだろう。だから、何でもよい、うまくいってもいかなくても、懸命に努力している人を、応援したくなり、自分に近いものを感じて、その人の良さを認めたくなる。本当は、成功の確率は低くても、絶望的な状況であっても、その懸命さだけで、人とはなんと優れた生命体かと思う。昨日の新聞に、「風邪ですね」と同じトーンで「癌ですね」なんだただの癌かと思う(横浜暁子)、の句があって、この医者は名医かと思った。深刻に思いつめた表情で言われれば、それが患者に伝わる、それほど重い癌であったとしても、軽く言うところに、医者としての懸命さがあり、患者とすれば、そうか、今の技術では、助かる確率も高いし、なんとかなるかもしれない、この医者に任せるか、という気持ちになるだろう。どんな厳しい状況であっても、諦めてはいけない、逃げてはいけない、なんとかなる、その勇気をもらえば、患者は癌との闘いに、勝ったようなものだ。なんと、有難い言葉だろう、そして、なんと素晴らしい医者なのだろう、と教わった。どんな境遇にあっても、まだ死んだわけでもなく、生きる希望があり、食事ができて、お風呂に入り、暖かい布団で寝れる、そう思うだけで、人は明るく生きていけるのだ。
