必要なこと

今日は土曜日、そして今は夕方、2階の書斎で外を眺めながら、何を書こうかと画面に向かっている。今週は忙しかった、来週も、さらに3月末までは、忙しい、そして4月からぱったりと暇になる。どの組織でも、3月は年度末で、予算決算月なので、役員会が集中するので、忙しいのは仕方がないが、学校のように、どの曜日の何の時間に授業がある、などと、ルーチンで決まっているわけではないので、いつ何が入ってくるか、突発的な仕事が多いので、予定が立ちにくい。ただ、受託事業系の仕事は、締め切りが決まっているので、年度末は、ことさら忙しく、自分のような立場の者でも、対外的な責任があるので、どこか気ぜわしい。自分の子供や教え子などが、自分のような年齢や立場になったら、気楽そうだから、羨ましい、と嘆息するような表情をすることがある。そんな風に見えるらしい、そうではないのだ、と言っても、どうしようもないので、どの仕事も、どの年齢になっても、多少のいざこざや、それなりの難しいことや、面倒な人間関係などが、あるのだ、と言うと、なおさら悲しそうな表情をして、この世の中は、いくつになっても苦労から逃げられないのか、とぼやく。そうだとしたら、この世に、楽しいことは無いではないか、不条理がまかり通るような無常の世界なのか、楽しいのは、温泉に出かけた時の、ほんの一時なのか、と諦観するかもしれない。ウクライナで悲惨を極めている人には、その通りで、何とも返す言葉がないが、日本で普通に生活している庶民には、どうなのだろうか。ふと新聞に掲載された句が気になった、節分のおまけについた鬼の面これいらないと言い張る子供(関根一雄)。子供にとって、鬼の面は怖いだけで何も価値がなく、つまらないものだが、節分をきちんとやろうと思えば、鬼の面は十分役立つ、むしろ必要なものである。ということは、これ要らない、という見方もあれば、必要な物という見方もできる。この世で起こる諸々の出来事は、すべて自分に好都合のことばかりで無いことは、誰でも知っている、そのような世界があるとすれば、漫画か認知症の人の世界だろう。ということは、鬼の面のように、実は必要なものなのかもしれない、否、すべて必要なものであり、必要なことなのだと思えば、どこか気が楽になる。だから、小さな心配事、小さな揉め事、いろいろあるが、そのようなことは、実は大切な出来事だと思う方が、乗り切りやすい。但し、この命題は、大きな問題、戦争とか大手術とか破産などには、適用できないだろう。などと、ここ数日、思案している。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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