生き延びてほしい

今日は3月にしては寒く、外は小雨がぱらつく曇天の1日だった。先ほど、外出から帰宅したところだが、夕方は特に肌寒く、防寒着を着ていても、外気に触れている首に風が当たって、体感温度はかなり低い。天気予報では、1桁の温度というから、冬そのものの寒さである。たまには、このような日があっても良いだろう、関東地方は、晴天続きで空気が乾燥して、一昨日辺りから、花粉症のようなクシャミが出て、目も少し痒くなったが、今日は湿気が高いので、その気配はない。部屋の中は、エアコンが効いて、外から家の中に入ると、ホッとして、やはり我が家はいいな、と素直に思う。特に、歳を取って、その思いが強くなってきたが、それは自然である。外では、子供や若い人には、寒さは何でもないようで、幼児は母親の側で、飛び上がって話をし、女生徒の集団は、何が面白いのだろうか、否、何でも嬉しい年代なのだろう、大きな笑い声で、そこだけ、幸せの渦が巻いていて、周囲も、思わず口がほころぶ。年配者は、押し車で歩く人、首を垂れて信号を待っている人、若い人に付き添ってもらって、用事をしている人、街の中は、人々の生活の香りで満ちている。寒さと言えば、ウクライナの人々の辛さを思わずにはいられない、テレビで、赤ちゃんが誕生した映像を流していたが、どうか、この子が生き延びることができますように、と祈らずにはおれない。惨状の中で、若い母親が、無事に生まれてきた我が子を見る顔に、この惨状の中で、微笑みが戻ってきて、その心中は察するだけで、目が熱くなる。医療に従事する人たちの責任感と優しさは、なんと形容したらいいのだろう、神のように尊く、テレビを見る全世界の人々も、拍手を送るだろう。昨日の新聞に、おならほめるナースの笑顔春隣(会田重太郎)の句があった。春隣は、今日のような、もうすぐ春がやってくる冬の季語らしいが、ナースの優しさと笑顔に、心が安らぎ、ほめてもらった嬉しさで、歌を詠みたくなったのだろう。ウクライナとは天地ほどの状況の差とはいえ、どこであっても、ナースは患者にとって、この世の天使である。ウクライナの母親は、多くの天使や神のような献身的な人々に囲まれて、一時でも幸せな気持ちになっているだろうか。決して、若い母親と、罪のない赤ちゃんを、悲しませてはいけない、生き延びさせなければならない。どうにもできない自分が、歯がゆい。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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