いろいろあって、忙しくなったが、どうも不思議な気がする。昨日は、水曜日で、隔週だが夕方6時からのオンラインのセミナーがあった。ゲストが素晴らしい先生だったせいか、評判がいいようで、さすがにベテランだ、と敬服した。ただ、今日も時間に追われ、資料造りに夢中になって、他の仕事を脇に置いて、という生活なので、このブログも手帳に書いて、忘れないようにしている。と言うのも、手を外すと、元に戻れないような気がするので、これも自分の仕事の内で、ずっと続けたいと思っている。かつて団体の役員を降りた時、と言っても、今は別の団体の役員をしてるが、これからは、組織に頼れないので、自律するしかない、連絡先も分からないようでは困るだろうと思って、始めたブログなので、その初心を忘れてはいけないと、自分に言い聞かせている。ただ、心境は変化している。左足の親指の骨折で小さなギブスで固定しているが、なんだこれしき、と思っていても、まだ3週間しか経っていないので、長い時間歩くと、痛くなる、すると、おかしなもので、老人の心境に近づいてきて、日向ぼっこがいい、暖かい縁側に腰を掛けて、などと思う。そう言えば、自分の両親も、この自宅に来た時は、日だまりで、うとうとと居眠りをしていた、やがて、老人介護施設に入居したが、というか、老人病院だったが、2人揃って入院した、そして、父親が亡くなってから、49日目に母親も亡くなった、それは7日の倍数なので、両親とも木曜日に亡くなり、金曜日に通夜、土曜日が葬儀で、月曜から大学に行ったので、今思えば、親不孝者だったのだ。でも、家内も4年近く毎日病院に通い、その前に、静岡まで遠隔介護を4年位したので、それで許してもらおう。病院では、和やかで、認知症だったから、よく分からなかったようだが、にこにこしていた。徘徊の母を見つけて帰る道空は夕焼けあしたも晴れだ(椎名昭雄)の句が新聞にあったが、作者はよほどの親孝行者で、母親を見つけて、よほど嬉しかったのだろう。今年で最後の年賀状にしたので、そろそろ終活の支度をしている。ほっとするような寂しいような心境ではある。
