有難さが分かる年齢

今は、土曜日の夕方、今書かないと、たぶんずっと書けなくなるだろうと思って、画面に向かっている。今週も忙しかった、ようやくSSHの審査が昨日で終わって、終わった時は、万歳を叫びたいような気持になるが、何故か、11月のスケジュールも厳しく、メールを見るたびに、嬉しいような、そして心配なような、いろいろな仕事が舞い込んでくる。メールの添付資料を見ると、どこか惹かれるものがあって、パソコンに覚書としてメモをして、記憶しておく。タレントは、どんな仕事であっても、時間をやりくりしながら、引き受けると言う、それは仕事が来なくなる時の怖さを知っているからだと言うが、その通りだろう。凡人は、そのような境遇ではないから、忙しいとか、不満を言うが、それは恵まれた環境にいるからだろう、明日、ひょっとしてすべてキャンセルなど、絶対にないと思い込んでいるから、文句を言うのだが、芸能系の仕事は、そのあり得ないようなことが、現実に起きるので、怖さを知っているのだ。そう思えば、凡人の生活は、なんと呑気で気楽で穏やかな生活をしているのかと思う。政治家も同じで、国会議員の話を聞いたことがあるが、自分もようやく4勝4敗になって有難い、と冒頭の挨拶で言うので、何かと思ったら、選挙のことだった。落ちれば、ただの人、と言うより、借金だけが残るので、文字通り、天と地のギャップがある。数字に容赦はないから、無情な世界なのである。決してなりたくない、もちろん、なれるわけもないが、たぶん、心が折れるだろう。最近になって、歳を取ってきて、単純に、メールなどでお呼びがかかると、有難く、どこか心が弾む、若い頃はそうではなかった、まるで、男芸者のようなものか、思うが、それで充分である。それ以上、何を偉そうにしているのか、と心の底から思っている。どんなことでも、有難い、少しタレントや国会議員の気持ちが分かる年齢になったのかもしれない。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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