今は、日曜日の夕方、夕食前のくつろぐ時間である。コロナ感染者数が急減している、有難いことで、このままでいてほしい。ただ、自分の生活を振り返ると、コロナとは関係なく快適に過ごしている、と書くと、コロナ禍で人生の災いを受けた人には、申し訳ないと思うが、そんな生活である。今日は日曜だから、週に1度のお昼を外食にした、回転すし屋さんに家内と行って、寿司を食べたが、これが絶品、どうしてこんなに美味しいのか、といつも思う。ココ壱番屋のカレー、日高屋のキムチチャーハン、安楽亭の焼肉、そじ坊の蕎麦、カプリチョーザの渡り蟹パスタ、など、庶民的な店だが、思うだけで、口の中が湿ってくる。今日は先ほどスポーツジムから帰ってきたが、ランニングや水泳をした後の爽快感は、何とも言えないほど、心が解放される。気持ちの在り方、心とは、何かと結びついてアクティブになるらしい。午前中は、平日と変わらず、資料作成をしていたが、イメージしたような資料、それは自分の作品と呼んでもよいが、その出来栄えが気に入った。その時の心は、満足感とか充実感とでも呼ぶ状態である。何も感じないこともあるだろうが、たいていは、悲しんだり、喜んだり、さまざまな心の動きがある。脳、身体、心が、すべて良い状態にある時、健康と呼び、今、流行っている言葉で言えば、well-beingになるのだろう。歳をとってくると、自分は、ますます食事が美味しくなり、ジョギングが好きになり、資料作成や原稿書きに充実感を感じ、というように、うまく連携しているように感じる。弁当の蓋を開ければ栗ご飯(久保田洋二)の句が、月曜の新聞にあった。作者の嬉しそうな顔が目に浮かぶようで、その瞬間が幸せなのである。歳をとること、コロナで自粛すること、などはマイナスと思いがちだが、そうでもない。自分の意志とは関係ない事情で、世の中は動いていくが、自分のことは、自分の在り方で決まるかもしれない。
