資料作り

今日は土曜日、今夕方で、ブログを書いている。今朝起きて、庭からまだ薄暗い空を見たら、雲一つない天気で、もう身体がうずうずして、早朝ジョギングをした。この爽快さを覚えると、中毒になりそうな魅力がある。まして、その後の朝食の美味しさは、もう表現ができないほどで、単純だが、幸せ感まで感じる。午前中は、資料作りだ、最近は、長い時間をかけて取り組んでいるが、どうもピンと来ない、努力しているのだが、資料と自分の思いが一致していない、すれ違うのだ。これまでの努力は何だったのか、と思いながら、ふと気付くことがあった。発想を変えようと思ったら、何か、憑き物が落ちたような気がした、ちょうど、これまで掛けていた眼鏡を変えたような気がしたのである。長い間かかって、こんな簡単なことを、と思いながら、しかし、良く見えるのだ。役者が演技をしながら、どこかで思いが飛躍する瞬間がある、という言葉を岸恵子自伝で読んだが、そんな感じである。こんなことか、自分は、何を考えていたのか、と自責した。午後は、ある教育系学会のオンライン発表会があって、最後のシンポジウムに、圧倒された。さすが、役者が揃っている、午前中の気付き、オーバーに言えば、心眼を開いたような興奮は、どこに行ったのか、と思うような、そのはるか上を行っているような内容で、すべて納得すると同時に、自分の考えていることは、なんと小さく頼りないのだろう、と思った。もう一度、資料を取り出して、先ほどのシンポジウムから感じた意味を、重ねてみたら、ほっとした。無駄ではなかったからだ。資料一つでも、奥はこれほど深いのか、勉強になった。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

コメントを残す