苦しさとやりがいと楽しさ

昨日は日曜日、午後は買い物やスポーツジムなどがあるので、午前に仕事をする。休日は、自分の好きな仕事をしてよい、と許しているので、昨日は、11月初旬にある講演の資料を整理したが、すぐに時間が経ってしまう。次から次と疑問が出てきて、自分の知識の無さや、浅さに愕然とするからだ。講演とは、己の無知を知ることか、とソクラテスのようなことを思った。いつまでも調べていたいが、時間は限られているから、午後は頭を切り替える。車で家内と、ホームセンターにガーデニング用の道具や、野菜の種などを買いに行く。雑草取りと土の整備と木を伐採するのは、自分の係りなのだが、在宅勤務になって時間の余裕があるので、その仕事も面白い。一日中不要不急や草を取る(清水昇一)、の句が新聞に載っていたが、草を取ることで、作者も楽しんでいるのではないか。買い物の後は、スポーツジムに行った。コロナが終息し始めているのか、人が多い、これでは密になる、と思いながら、いつものように汗を流して、ジャグジーの横の椅子に座って街を眺めると、心が解放される。仕事があるということ、スポーツができるということ、すべてが、有難い。夕方、午後7時からは夕食の時間だが、高校の関東支部の同窓会、といっても、オンラインだが、があって、夕食を取りながら、視聴した。有名なサッカー選手を輩出している高校だが、昨日は、サッカーの国際審判員、画家、演劇家などで、その分野で活躍している人たちが登場して、仕事を説明していたが、今働き盛りの年齢である。苦しくもやりがいのある仕事だと言っていたが、その通りだ、ただ、歳をとっても、苦しさは薄れていくが、やりがいと楽しさは変わらずに残る、と言いたい、だから、心配ないのだ。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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